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詩148篇/B

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瞑想Ps148/B

◆詩篇148篇における賛美用語が「ハーラル」הָלַלの一語でまとまっています。また、その構造もはっきりとしています。

A. 「天において」(1~6節)

「主をほめたたえよ」が7回
「主の名をほめたたえさせよ」が1回


B. 「地において」(7~14節)

「主をほめたたえよ」が1回
「主の名をほめたたえさせよ」が1回
※ただし、「すべての」が6回と「すべて」が強調されています。



◆なにゆえに、「主の御名だけがあがめられる」のかと言えば、それは、「その威光は地と天の上にあるからだ」としています。「威光」(名詞)と訳されたホードהוֹד(hod)は、旧約で24回、詩篇では8回(8:1/21:5/45:3/96:6/104:1/111:3/145:5/148:13)使われています。英語では、splendor, glory, glorious, majesty, proud, などと訳されています。主の御名の素晴らしさ、その輝き、その栄光を作者は見ているのです。

◆それと同時に、「主は、その民の角を上げられた。」ことが併記されています。「角」とは力を表すことばです。主がご自身の民の角を上げられたとはどういう意味でしょうか。文字どうり、「強くされた」ということか、あるいは、「特別な存在とされた」という意味なのでしょうか。いずれにしても、そのことがイスラエルの子らにとっては「誉れ」(関根訳)なことなのです。

◆天におけるすべての被造物は神を賛美するために創造されました。神ご自身の民であるイスラエルも同じく、主の御名の素晴らしさをたたえるために神が選ばれた者と言えます。しかも、神ご自身の民であるイスラエルに出来て、天におけるすべての被造物が出来ないことがあります。というのは、「贖いの歌」は神によって贖われた者だけしか歌うことができないということです。とするなば、「主は、その民の角を上げられた。」とは、主の御名をあがめる力、主の御名をほめたたえ、賛美する力を与えられたといえるかもしれません。

◆「主の祈り」の最初にある「御名があがめられますように」との祈りは、誰でも容易に祈れることばではないのかもしれません。神への賛美は神が授けてくださってはじめて出来るものなのです。このことは、主にあって「誇る」べきことです。

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