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詩149篇/B

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瞑想Ps149/B

◆4節をいろいろな聖書の訳で見てみます。

  • 「主は、ご自分の民を愛し、救いをもって貧しい民を飾られる。」(新改訳)
  • 「主は、ご自分の民を喜び、貧しい人を救いの輝きで装われる。」(新共同訳)
  • 主はおのが民を喜び、へりくだる者を勝利をもって飾られるからである。」(口語訳)
  • 「なぜならヤハウェはおのが民を顧みる方、貧しき者たちを救いをもって輝かせるから。」
    (岩波訳)

◆「愛し」「喜び」「顧みる」と訳されたラーツァーרָצָה(ratsah)は、神の愛顧を示す動詞で、愛する、受け入れる、好む、喜ぶ、好意を示す、という意味です。ラーツァーרָצָהは、旧約で52回、詩篇では13回使われています。以下は神の恩寵として使われている箇所です。40:13/44:3/77:7/85:1/119:108/147:10,11/149:4

主はご自分の民を殊のほか、愛し、喜びとして受け入れてくださっているということです。この事実をいつも思い起こし、思い巡らすことが賛美の源泉です。

◆御子イエスが受洗されて公生涯に入られたとき、天からの声がありました。それは御父の声でした。その声は「あなたはわたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」というものでした。御父の愛のまなざし、御父の愛の対象、御父の喜びの対象としての御子、その愛の交わりこそ、勝利を得させた源泉でした。

◆一方の「飾る」「装う」「輝かせる」と訳されたファーアルפָאַר(pha'ar)は、旧約で14回、詩篇ではここの149:4の1回限りです。本来は「神の輝きを与える、神の輝きが現われる」という意味です。栄光を現わす、栄えあるものとして、特別な存在とすることを意味します。贖っただけでなく、贖った者のうちに、神ご自身の栄光を現されることです。このことは、「聖徒たち」(主の慈しみに生きる者)の「誉れ、光栄、輝き」ハーダールהָדָר(hadar)なのです。

◆ちなみに、ハーダールהָדָרは、本来、王に用いられる用語です。「飾り」、「輝き」、「威光」、「栄光」、英語訳ですと、majesty, glory, と訳されます。詩篇110:3では「聖なる飾り物を着ける」、「聖なる方の輝きを帯びる」とあります。これは、動詞のファーアルפָאַר(pha'ar)と同義です。王の用語が、王に愛される者にも現されるのです。

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