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詩15篇/B

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瞑想Ps15/B

  • 神の宮(幕屋)に宿り、聖なる山(シオン)で主を礼拝するにふさわしい者は「だれ」なのか。前編の「善を行なう者はいない。ひとりもいない」という神のサーチの結論に対する驚きと問い、そしてそれに対する神の答えが、詩15篇2節以降の内容だと思います。
  • 詩篇15篇は、神と人、人と人、その両者の密接な関係についてのあるべき姿を提示してい ます。ある人は「神に対する信仰は、人間関係の中で吟味されて、真実なるもの、純粋なものになる」と述べています。神との関係、人との関係、これは車の両輪の関係で、一方がないがしろとされては真っ直ぐに進むことはできないということです。神との親しい関係を築こうとする礼拝者は隣人との関わりと密接な関係にあること、これがこの詩篇の瞑想のテーマです。
  • 1節の脚注を見ると、詩24篇3節にも同じ問いかけがあることが分かります。「だれが、主の山に登りえようか。だれが、その聖なる所に立ちえようか。」と。しかしそこを読む限りでは、隣人との関係は語られていません。神との関係だけが問われています。したがって、詩15篇は、詩篇において、神と人、人と人との関係についてはじめて語られる重要な詩篇だと言えます。
  • 1節の「だれが」の問いかけに対する答えをLB訳でみると、「非の打ちどころのない生活を送る、誠実そのものの人」とあります。そしてそのあとに、人との関係におけるチェックリストが8項目並んでいます。そのすべてに○印をつけられるならば、その人は「決してゆるがされない人」だというのが、この詩篇の結論です。①口が裂けても人を中傷しない。②うわさ話に耳を貸さない。③決して隣人を傷つけない。④大胆に罪を告発し、それを明るみに出す。⑤主に忠実な者をほめる。⑥たとい危害を受けても約束は破らない。⑦高い利息で負債者を窮地に追い込むようなことはしない。⑧賄賂を受け取って無実の人に不利な証言はまちがってもしない。
  • 上記の8項目に記された生き方ができるならなんと幸いかと思います。特に、「損になっても、立てた誓いは変えない」(4節)ような、生き方をしてみたいものです。おそらく多くの人たちからの信頼を得ること間違いなしです。しかし自分を欺かずにこれらの項目をひとつひとつ吟味してみるなら、とても○印をつけることはできません。印のつかないところがひとつでもあるなら、礼拝者としては失格です。これが旧約の基準です。そして私も「義を行なう者はいない。ひとりもいない。」の部類に間違いなく入る者であることを認めざるを得ません。
  • 1節の「宿る」とか「住む」ということばは、神との親しい交わりを意味しています。人との関わりにおいて、その交わりを阻む原因が自分の中にあることを明らかにされます。「しかし」です。そんな自分の絶望的な状況の中に、神が福音を与えてくださいました。それは、だれが、いかにして、神のうちに宿り、住むかという問題ではなく、神ご自身が私たちの内に宿り、住んでくださるということが、イエス・キリストによって、御霊によってなされるという福音です。これこそ、驚くべき神のわざです。詩15篇の「だれが、あなたの幕屋に宿るのでしょうか。だれが、あなたの聖なる山に住むのでしょうか。」この問いかけに私は自信をもって言うことができます。それは、「私のうちに住まわれるキリストにあって」と。 

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