****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

詩20篇/B

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瞑想Ps20/B

  • 詩篇20篇は最後の9節に「主よ。王をお救いください。」とあるように、王のためのとりなしの祈りです。作者(ないしは民)はこの王を「あなた」として祝福しています。ここには油注がれた王と民との間に一体感が存在しています。
  • 特に、6節の「今こそ、私は知る」ということばを瞑想したいと思います。新共同訳では、「知った」と訳されています。何を知ったかと言えば、「主は、油注がれた者をお救いになる」ということを、「今さらながら」「改めて」「再度」「目の当たりに」知らされたということです。
  • 戦いにおいては、真のリーダーなくして戦うことはできません。そのリーダーは、主に全き信頼を置く者でなければなりません。ここが世俗のリーダーと異なる点です。主によって油注がれたリーダーと主との関係が麗しい関係を持っている限り、主の力が賦与されるのです。王と民、そして王と主とのかかわりがしっかりとしているとき、「今更ながら」「再度」、主から来る御力を目の当たりにしたと述べているのです。
  • 御父が御子に権威をもって治める「王」として、人の弱さを思いやることのできる「大祭司」として、御父のことばを語る「預言者」として、その務めを果たすべく油注がれたように、主にある教会においても主から油注がれたリーダーが必要です。
  • コリント第二1章21節には「私たちに油注がれた方は神です」とあり、ヨハネ第一2章27節では「あなたがたの場合は、キリストから受けた注ぎの油があなたたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべのことについてあなたがたを教えるように、また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。そこで、子どもたちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。」とあります。
  • 油注ぎを求める者は多いですが、キリストのうちにとどまることがどういうことを理解している者は少ないように思います。人からの受け売りの教えではなく、キリストのうちにとどまることを 通して与えられる真の油注ぎの力を、私も「今こそ知った」という者にされたいと祈ります。

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