****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

詩23篇/B

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瞑想Ps23/B

  • 珠玉の詩篇と言われているこの詩篇23篇には、主とダビデとの最高のラブ・ストーリーが描かれています。特に、最後の節の「私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。」というダビデの誓いは、マリヤのライフスタイルを彷彿とさせます。「いつまでも」(永遠に、生ける限り) 「主の家に住む」、「主の家」には何があるのか、そこには何も欠けることのない満足、魂の安息、生きる意欲と力、慰め・・などがあふれてるアットホームな愛の住処といえましょう。私たちも、キリストにあって、そんな場所に自分が主によって招かれていることを感謝したい。「親しさ」「豊かさ」「喜び」は、愛のいのちのしるしです。
  • 主と自分とのラブ・ストーリーを持てることこそマリア・スタイルです。これが現代の教会に最も欠けているものだと思います。私は、これまで長い間、「主のために生きる」というマルタ・スタイルを生きてきたように思います。それなりの祝福がありましたが、そのために家族や教会を犠牲にすることを余儀なくされます。そこに落とし穴があります。イエスはマルタに対して「マリアは良い方を選びました」と言われました。ユダヤにおいて「良いか悪いか」ははっきりとしています。その点、日本は曖昧です。主人と富の両方に仕えられないように、良いものを選ばないことは、悪い方を選んだことになります。この話を、マルタも良いことをしていると考えることは、この話の本質をゆがめ、骨抜きにしてしまうと私は考えます。なぜなら、マリア・スタイルこそ、実は、御子イエスの生き方そのものだったからです。
  • クリスチャン生活において良いこととは、自分と主とのラブ・ストーリーを持つことです。使徒パウロも「キリストの愛から、私を引き離す者はなにもない」と言っているように、そんな最高のラブ・ストーリーを主は私たちに保障して下さっています。使徒パウロの告白は詩23 篇の新約版といえましょう。

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