詩27篇/B
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瞑想Ps27/B
- 詩篇27篇1節の「主は私の光、私の救い」という告白が意味するところは、主は私の存在のいのちの源であり、生存と防衛だけでなく愛の保障となってくださる方であるという確信だと信じます。その確信が常に自分の中に保たれるためにダビデが求めたただ一つのことは、「主の家に住むこと」、あるいは「主の御顔を慕い求めること」でした。
- 「一つのこと」(One Thing)とは、
①自分が自発的に求めなければ得られないもの
②なによりも優先すべき事柄
③それがなければすべてのかかわりが意味を失ってしまうようなこと
④それを得るならば、他のすべてのことは正しい位置を占め、機能していくような事柄などを意味しているように思います。
- ダビデにとって、その「一つのこと」が意味することは「主の家に住む」ことでした。「主の家」とは、自分が拒絶されることなく、歓迎されている場所、自分の本当の居場所、アットホームな、自分がありのままでいられる場所と言えます。そんな家をもっている人は幸いです。
- かつてイエスの両親がエルサレムではぐれたイエスを捜しあてたとき、イエスは両親にこう言いました。「わたしがいつも父の家にいることをご存じなかったのですか。」(ルカ2章49節) イエスはいつも「御父の家」にいたことがわかります。イエスは、この世に人として来られた時だけではなく、永遠に御父の家におられた子なる神です。そこには永遠に親密な交わりが存在しています。マリヤスタイルの原型がここにあります。
- ダビデもまた親密な交わりを可能とする「主の家に住むこと」を何よりも優先した人でした。そしてそこで「主の麗しさを仰ぎ見る」こと、つまり、主ご自身のすばらしさにいつも感動できるところに、自らを意識的に置いていたのです。それがダビデの基盤でした。また、「主の家に住むこと」は、「悩みの日の隠れ場」(secret place)ともなりました。多くの人はそうした場所があること自体、知りません。秘密の場所だからです。
- こうした「親密さへの希求」「一体感への希求」は、人が意識するとしないとかかわらず、だれにもあります。それを人に求めるとき、しばしば失望を味わうことになるでしょう。しかし、それを神に求める時、決して失望におわることはありません。たとえ、父や母も含む人々に失望させられることがあっても、神だけがその希求を満たしてくれると信じる者は幸いです。