****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

詩31篇/B

Ⅰ/A(1~41篇) | テキストPs31 | 原典テキストPs31 | 瞑想Ps31/A | 礼拝用語Ps31 | 恩寵用語Ps31 |

瞑想Ps31/B

  • 詩篇31篇の作者は深刻な苦しみの状況を訴えています。身も心も衰弱して、自分が「こわれた器」のようただとしています。こわれた器とは無用な存在という意味です。周囲の者すべてが反対者となり、非難、忘却、拒絶、裏切り、陰謀の中にあってだれも自分を支えてくれる者がいないという四面楚歌の状態、八方塞りの状況を嘆き、その窮状が訴えられています。まさに、「包囲された町」(21節)さながらの状況です。
  • 神の子どもとされた者であっても、孤独感、空虚感、失望落胆、重い抑圧状態の中に置かれることがあります。特に主に愛される者はこうした経験を必ず通っていきます。この経験は選択科目ではなく必修科目です。なぜなら、こうした経験の中で、神との親しい交わりを体験することができるからです。ときには、強制的に、主のための働きから切り離されたり、ある種の働きから身を引かざるを得なくなるように導かれたりします。いずれにしてもその目的はただひ とつです。それは主を知り、主のいつくしみに触れるためなのです。ここに苦しみの意義があると信じます。それゆえ、この詩篇の瞑想のキーバースを19節、「あなたのいつくしみは、なんと大きいことでしょう」としたいと思います。この気づきこそ嘆きの詩篇の真髄だと信じます。
  • しかしダビデは心の中で不信仰にも「私はあなたの目の前から断たれたのだ。」と言ってしまいました。(22節) ここをLB訳では「『神様に見捨てられた』と口走った私でしたが、やはり早合点でした。」と訳しています。これはだれもが経験するところです。
  • 自分の失敗ではなくても八方塞がりに置かれることがあります。それはかなり精神的に追い詰められることになります。それはまさに、その人の人生の「夜」の経験と言えます。使徒の働きにはパウロの生涯が描かれていますが、そのパウロの生涯で特筆すべき三つの「夜」があったことをルカは記しています。
    ①16章9節の「ある夜」・・・八方塞の中にあった夜です。
    ②18章9節の「ある夜」・・・さまざまな問題―恐れーの中に置かれていた夜です。
    ③23章11節の「その夜」・・・もうパウロの働きはエルサレム止まりかと思われた夜です。
  • それぞれの「夜」にパウロは主の御声を聞きました。パウロにとっての「夜」は、実は、神の計画における新しいことの始まりでした。次のステップに行くための大切な「夜」だったのです。ルカはパウロの生涯における「夜」の重要性を見逃しませんでした。それは神のいつくしみ、神がいかに良い方であるかを、やがて多くの人々にあかしするためでした。
  • もし誰かがそうした「夜」を通っているなら、それはまさに神の恵みの時です。新しいことが備えられているときだと信じます。ですから、詩31篇の作者が言うように、主を待ち望みながら、「雄々しく、心を強く」(24節)しなければならないのです。

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional