詩32篇/B
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瞑想Ps32/B
- 今朝は、特に、「取り囲む」(7節、10節)を取り上げます。私たちを取り囲んでいるものは何か。罪責感、あるいは恨み辛みがその人を取り囲んでいるならば、その人から良いものは決して流れてきません。このような人の心は痛みが多いことでしょう。しかし、主の特別待遇の恵み、主に愛されている喜びがいつもその人を取り囲んでいるならば、その人から流れてくるものは、人をいやし、明るくし、生きる喜びを与えてくれます。
- 今年の夏、23年間、有能な宣教師として日本で働かれたアン・スミスという方のメッセージを伺いました。ご主人を天に送られてから4年目になられますが、80代とはとても思えないほど、しっかりとした霊性を保っておられ、主にある成熟とはかくなるものかと驚かされました。そのアン・スミス師のメッセージは、自分がなんと神から多くの罪を赦され続けてきた者であるか、その視点から自分とかかわる人々に対して主の深い恵みといつくしみをもってかかわ
ることの大切さでした。私もその頃、礼拝のメッセージで「赦すことと平和をつくる」ことについて繰り返し語っていましたので、共感するところが多々ありました。
- 使徒パウロの存在や働きの根拠も「キリストの愛が私を取り囲んでいる」(Ⅱコリント5章14節)という確信にあったように、私もいつもそうでありたいと願っています。