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詩39篇/B

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瞑想Ps39/B

  • 詩篇39篇を読むと伝道者の書の「空の空」が結びつきます。作者は自分に与えられた生涯が手幅ほどのものでしかない儚さを味わっているようです。どんなに盛んで充実した人生に見えても、結局は全く空しいものだと悟っています。この世でどんなに積みたくわえても、それが自分を支えることのできないことを知る時が来ることを悟っています。「まことに、人はむなしものです。」(11節)
  • そんな強烈な空しさを味わった作者の心から出た一縷の望みは、神ご自身でした。「主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたです。」(7節) これがこの詩篇のキーバースだと思います。
  • ひょっとしたら、作者は病床の中にあったのかもしれません。昔は、病気はいつも死と背中合わせだったと思います。死に直面することは、すべての願いや望みを喪失する痛みと言えます。中には、空しさのゆえに自殺する者もいるほどです。作者は1~3節で、なぜ、自分の道、特に、舌、口に口輪をはめようとしたのでしょうか。なぜ、沈黙を守るようにしたのでしょうか。思うに、虚しさのゆえに自分の口を開ければ、否定的なことばを言いかねない、あるいは神を呪うような、そむきの罪を犯しかねない懸念が自分のうちにあったからではないかと思います。しかし、心の底にある空しさの苦しみは沈黙できるものではありません。旧約の伝道者の書は、人間の深い渇きである空しさの苦しみに耐えかねて、ことばや行動を起こすことで解決しようと繰り返し試みますが、それで心の空しさを埋めることはできないことを見出しました。そして、結論として、神を恐れること(神を計算に入れて、神を信じて生きること)こそ、解決の光であ ることを見出した知恵の書です。
  • アウグスチヌスは「人間の心の奥底には、神にしか埋めることのできない空洞がある」と言いましたが、この世において、放蕩の限りを尽くした彼のことばだけに、真実味があります。自分の存在のもろさや儚さを知ることはとても大切なことだと思います。そのきっかけは病気であったり、事業の失敗であったり、挫折の経験であったりします。私たち人間のさまざまな人生の営みは、すべてこの空しさから逃れる、あるいはそれを埋める、終わることのない衝動なのかもしれません。そんな私たちが、もし、この詩篇の作者のよ うに、「私の望み、それはあなたです」(7節)と告白できるならばすばらしいことです。繰り返し襲ってくる心の渇き、愛の渇きの中で、渇きを満たすことのできる方は主イエス・キリストしかいないことをもっと経験したいと思います。
  • 朝の「サムエル・ミニストリー」のときに歌う賛美歌があります。その1節がとても好きです。
    なにもこの心 満たすことできない
    だれもこの心 うばうことできない
  • このフレーズを繰り返し、繰り返し歌うことで心は力づけられるのです。
    「ほむべきかな。」いのちの泉であられる神。 

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