****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

詩4篇/B

瞑想Ps4/B

◆詩4篇の中で特に私の心にとまったのは、1節の中にある「ゆとり」ということばです。「あなたは、私の苦しみのときにゆとりを与えてくださいました。」 その「ゆとり」とは、「主が、ご自分の聖徒を特別に扱われる」(3節)ということを知ることを通して与えられるものだと信じます。それは、物質的、金銭的なゆとりではなく、「存在のゆとり」とも言うべき、神に愛されているという「特別待遇の自覚」によるものだと思います。しかもそれは逆境の中でこそ確認されるものだと信じます。苦しみの中にあっても「ゆとり」があることこそ、神との親密さのあかしです。

◆また、「ゆとり」は4節に「自分の心に語り、静まれ」と命じているように、「沈黙」と密接な関係があると信じます。「沈黙」とは、単に、何も話さず黙っているということではなく、自分の周囲の出来事や状況に対して、ある一定の距離(境界線)を置くことを意味しているように思います。それは周囲の出来事に支配されてしまわないためです。

◆そしてもう一つ、「ゆとり」と関連することばとして、「義のいけにえ」があります。「義のいけにえ」とは神との正しいかかわりを築くことだと私はここでは理解します。ダビデの時代には、モーセの時代とは違って、「動物のいけにえ」でなく、「義のいけに」、「賛美のいけにえ」、「感謝いけにえ」、「喜びのいけにえ」、「従順のいけにえ」という、いずれも神との親密なかかわりを表わす<霊的ないけにえ>が強調されています。

◆「ゆとり」―「特別待遇の自覚」-「沈黙」-「義のいけにえ」・・・これらはみなひとつにつながっているように思えます。多くの人々が「だれかわれわれに良い目をみせてくれないものか」と願っている中で、詩篇の作者は、主の「御顔の光」を求めています。これこそ、イエスの言われた「良い方を選んだマリア」のスタイルであり、詩篇瞑想の目的だと信じます。そして、すべてはここからはじまっていくのだと確信します。

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