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詩49篇/B

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瞑想Ps49/B

◆詩篇49篇3節「私の口は知恵を語り、私の心は英知を告げる」という所を味わいたいと思います。「知恵」とか「英知」は長い歴史と人間の経験が積み重ねられて結晶した知恵と言えます。特に、神の知恵と英知は神からの啓示がなければ成り立ちません。神の啓示を受けた作者が、多くの者たち(低い者も尊い者も、富む者にも貧しい者にも)に「なぞ」とされている真理を解き明かすために、耳を傾けよと呼びかけています。イエスさまも神の「なぞ」を「たとえ」で語られました。そのとき、「耳のある者は聞け」と言われました。注意深く聞くのでなければ、見出す事のない真理だと言わんばかりに。

◆その内容を読むとき、なんと多くの人々が豊かな富や栄誉に惑わされていることかを思います。それは人が死ぬとき何一つ持っていくことができないということを知らないでいる人間の愚かさを格言的に表現しています。たとえば、12節と20節、「人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅び失せる獣に等しい。」

◆しかし、それは知恵の消極面であり、より積極的な面は、15節の「神は私のたましいをよみの手から買い戻される。神が私を受け入れてくださるからだ」という告白です。その背景となっているのは、「たましいの贖いしろは、高価である」ことを知っていることです。世界中のお金を集めても、一つのたましいさえも買い戻すことができないほど、高価だという主張です。だとするなら、永久にあきらめなければなりません。しかし、15節、「神は私のたましいを、よみの手から買い戻される」です。

◆イザヤ43章に有名なみことば「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」があります。どれほど高価なのか。それは、世界中の富をもってしても払うことのできない身代金以上に高価だということです。落ちぶれた私たちのために、そんな代価を払って身代金を払ってくれた方こそ、私たちを造られた神です。

◆イエスは言われました。「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得かありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」(マタイの福音書16章26節)と。このことばの意味するところは、まことのいのちを損じている私たちを、その私たちを買い戻すには、人は何も差し出すことができない、それほどに高価なのだ、という宣告です。

◆この詩篇も預言的です。この作者のいう告白、「神は私のたましいをよみ手から買い戻される」とは、イエス・キリストの受肉と十字架の死と復活なしにはあり得ないことだからです。この「なぞ」は長い間、奥義として隠されていましたが、時至って実現に至りました。「わたしの目には高価で尊い。わたしはあなたを愛している」という神のラブコールは決して思い付きではなく、綿密な計画に基づいて、みこころのままに実現してくださったのです。このことを心から感謝し、栄光を主に帰すものでありたいと思います。

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