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詩56篇/B

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瞑想Ps56/B

◆詩篇56篇に繰り返し出てくる「一日中」ということばが目立ちます。1節、2節、5節と三回使われています。たえずダビデは、「踏みつけられ」「しいたげられ」「戦いをいどまれ」「痛めつけられ」「待ち伏せされ、「あとをつけられ」「いのちをねらわれ」ています。心休まる状況ではありません。そんな状況の中でダビデが「私は、あなたを信頼します。何も恐れません」と告白したことは驚くべきことです。「一日中」恐れのある日を送っていたことは、それと同じ程度 に「一日中」、つまり、絶えず、主を信頼することを学んだということを意味します。

◆主を信頼するとは、神がどのような方かを知っているということと無関係ではありません。ダビデは宣言します。「神が私の味方であることを私は知っています。」(9節) 使徒パウロもローマ書で同じような告白をしています。「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」(8:31)と。そして「私たちは、私たちを愛して下さった方によって、これらすべてのこと(つまり、患難、苦しみ、迫害、飢え、裸、危険。剣)の中にあっても圧倒的な勝利者となるのです。」(同、8:37) このゆるぎない確信は、神を知ることによるものです。詩篇の瞑想の目的はこの一点にあると信じます。

◆神の愛から私たちを引き離すことは、なにものにもできないのです。神が「私の味方」であるという告白はなんとすばらしいことでしょう。この絆の強さを、ダビデは「いのちの光のうちに」歩むと表現しています。これは「神の御前に歩む」ことと同義です。これは苦難を通して、培われるもののようです。

◆幸いなことよ。神を愛する人々、すなわち神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益として下さることを知る者は。

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