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詩70篇/B

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瞑想Ps70/B

◆詩篇70篇は詩篇40篇13~17節の部分とほとんど同じです。これは何を意味するのでしょうか。このことは、実際の礼拝や祈りの中で既成の詩篇の自由な活用があったことを伺わせます。これは賛美のある部分を抜き取って、それを、自由に、祈りや賛美に活用して良いとい例です。私も実際の礼拝の賛美において、礼拝をより深めていくために、既成の賛美歌の自由な活用をもっとても良いと考えます。

◆さて、詩篇70篇の瞑想のキーワードとして、「急いで」「速やかに」(新共同訳)といった、緊急性、切迫性を伴う祈りについて考えます。だれでも、そうした祈りをせざるを得ないような状況に、置かれることがあります。イエスに対して、そのような緊急性、切迫性をもって嘆願した人々を思い起こします。しかし、不思議にもイエスは決して急がず、その願いに応えているのをみます。たとえば、

  • ①舟に乗っていて嵐に会った弟子たちが「私たちはおぼれそうです」(ルカ8:22-24)と言った箇所、
  • ②「私の息子が死にかかっています」と言って、早く来てくださいと訴えた役人(ヨハネ4章)、
  • ③またイエスの親友ラザロが死にかけているとの連絡を受けたとき(ヨハネ11章)も、イエスは決して急ぐことはありませんでした。ラザロに対して二日間もベタニヤ(わずか距離にして3Kmにもかかわらず)に留まっておられました。

◆私たちの信仰はしばしば緊急性、切迫性が感じられるところで試されます。つまり、私たちが緊急性、切迫性として感じられる状況では、助けが遅くなってしまったら大変だという恐れが背後に隠れています。そんな私たちの恐れに対して、イエスは「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と問われます。神を信頼するということがどういうことかを探られることばです。

◆信頼するとは、一見、緊急を要する状況の中でも主にあって安心することです。そうした主を信頼することから生まれる心の余裕を持つことが、本当の信頼することだと信じます。イエスの御父に対する信頼は、どんなときにもあわてることなく、あせることなく、ゆとりのある、落ち着いた姿となって現わされていることに驚かされます。私たちはさまざまな状況(病気になったり、お金がなくなったり、思うようにことが運ばなかったり)の中で、主に「急いで」「速やかに」と嘆願しますが、これは必ずしも熱心さの表れではなく、背後に「恐れ」が隠されてい るのかもしれません。主を信頼することがどういうことを考えさせられます。主は生きておられるのです。そして聖徒たちを特別に扱われる方であり、生存と防衛を保証して下さる方であると信じます。

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