****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

詩8篇/B

瞑想Ps8/B

◆詩篇8篇は、これまでの嘆きの詩篇とはうって変わって、二つの「驚き」があふれています。そのひとつの「驚き」は、1節、9節にあるように、「あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。」です。主の「力強さ」が乳飲み子や幼子に代表される弱い存在を通して表わされていることへの驚きです。もうひとつの「驚き」は、4節にあるように、「人とは何ものなのでしょう。あなたがこれに心を留められるとは」という、主が人を顧みられることへの驚きです。瞑想においては、これをひとくくりにして味わうこともできます。「詩篇の瞑想」の楽しみは、詩篇の作者たちの驚きに、自分が素直に共感できるかどうかにあると言えます。

◆2節の「あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられる」、その目的は、「あなたに敵対する者のため、敵と復讐する者とをしずめるため」とあります。この世で最も弱い者たちが、神の力を打ち建てるとはなんとも不思議なことです。(※ただし、2節の「幼子と乳飲み子」というのは主の弟子たちのことを意味します。マタイの11章25節以降参照のこと。この世の賢い者や知恵ある者ではなく、素直に主を受け入れた者のことを幼子、乳飲み子と表現されています。)

◆使徒パウロもコリント人への手紙第一の中で、このことを「神の知恵」として語っています。1章18節以降から拾って見みると、「神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。・・これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。・・・事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵なのです。」(27, 29, 21節)とあります。さらに、同じ手紙の12章に至っては、「それどころか、からだの比較的に弱いと見られる器官がかえってなくてはならないものなのです。」(22節)とあります。なぜなら、それは、からだ全体が分裂することなく、調和するためであり、各部分が互いにいたわり合うためであると説明されています。

◆神が召し集められた教会(エクレシア)においては、ひとりひとりが実に不思議な役割を担いながら存在しているのです。それゆえ、神に召し出された者たちは、この世において、キリストのからだを建て上げることが使命として与えられていることを心に深く銘記したいと思います。

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