****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

詩87篇/B

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瞑想Ps87/B

◆韓国の人気ドラマ「冬のソナタ」の第一話は、主人公が自分の存在のルーツを知るために転校してくるところから始まります。出生の秘密、つまり自分の父親が誰なのか、自分の存在のルーツを知りたいという切望。これはある人たちにとっては切実な問題です。中国残留孤児の方々が今もなお肉親を求めて日本を訪れています。日本に来て住むことは願わないとしても、自分の父や母に会いたい、墓参りしたい、肉親のわずかな情報でもつかみたいと日本を訪れるのは、自分の存在のルーツについて確認したいという思いの表れです。

◆自分という存在のルーツ、連綿と続いてきた血筋の流れ、いくつもの枝分かれしながらたどり着いた自分という存在。どの一筋が欠けても、ここに存在し得ない自分。それはまさに奇蹟のようです。

◆ある牧師が「北海道にはいくつの教会がありますか?」と質問しました。答えは「一つ」。とすれば、日本にも、世界にも教会はただ一つしかありません。その教会はどこにあるのでしょう。それはシオン(エルサレム)です。この答えは、私にとってパラダイム転換を迫られるものでした。教会の本質、神の救いの歴史の見方や考え方を根底から転換するものとなりました。教会はエルサレムで誕生し、私もその中で「生まれた」のです。私にとってエルサレムはまだ見ぬ地なのですが、特別な存在となりました。

◆詩篇の中で「エルサレムの平和のために祈れ」(詩122篇6節)とあります。その意味するところはきわめて深遠です。「エルサレム、エルサレム、平和あれ、メシアが来られるとき、誉れはおまえに」という賛美の意味する内容も、実は、神の選びの民であるユダヤ人とすべてのクリスチャンたちの霊的存在のルーツと密接な関係があるようです。詩篇にはエルサレムを思慕する歌(シオン賛歌)が多く見られます。シオン賛歌が私の心をなぜか不思議と奮わせるのです。

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