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詩88篇/B

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瞑想Ps88/B

  • 私は瞑想Ps88/Aで、「この詩篇は最後まで、どこにも出口がないような暗黒の詩篇です。・・・朝が見えません。」と書きましたが、そうとは言えない感じがします。
  • その理由は二つあります。一つは、この作者が、1節で「主よ。私の救いの神」という希望の種をもっていることを記しているからです。もう一つの理由は、2節の「私の祈りがあなたの御前に届きますように。」という願いが、13節後半では「朝明けに、私の祈りはあなたのところに届きます」という信仰の確信に変わっているからです。作者の祈っている祈りの時(状況)は、まさに「夜」です。しかし「朝明け」には、祈りが神の御前に届いているという信仰の確信が述べられています。感謝したり、賛美したりする言葉こそありませんが、十分に「嘆き」から「たたえ」という詩篇の神学を有している詩篇と言えます。
  • ヘブル人たちの時間感覚は私たちとは違います。私たちは「朝があり、夕があった」という時間感覚です。しかしへブル人たちのそれは「夕があり、朝があった」という感覚です。前者は「朝」に起きて、自分の力で働き、努力し、成功するために頑張って生きています。しかしその結果は、すべてが空しい「夕」に向かっています。「夕」とは光りなき世界であり、「空の空」の世界です。そこには希望を見ることができず、その究極は「死」です。多くの者が人生半ばで、自ら死を選んだとしてもおかしくない世界です。しかし後者は、「夕(夜)」の中で神と出会います。そしてその結果として「朝明け」を迎えます。その「朝」はまさに恩寵の世界です。希望の朝、解放の朝です。
  • したがって、この詩88篇は一見最も深い暗やみ(深淵)の中にいますが、最も神の恩寵の世界の近くにいると言えます。朝明けの前に最も暗い時があるように、この詩篇の作者は朝明け前の最も暗い夜の帳の中にいるのです。
  • 私たちの主イエス・キリストも、復活という「朝」の前に、十字架の上で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」と叫ぶ深遠な暗やみを経験しました。最も深い淵から、救いの神に向かって祈られたイエスの姿と詩88篇の作者の姿がなぜか重なって見えます。

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