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詩91篇/B

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瞑想Ps91/B

◆この詩篇は「守りの詩篇」と言われていますが、しかしながら、その守りの祝福は作者が神との親しい交わりへと召され、それを自覚的に選び取ったことによる結果であると私は思います。 1節は神との関わりを次のように表現しています。「いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る」(新改訳)と。

◆一つの節の中に、同じ内容が異なる表現で言い表されています。つまり、「いと高き方の隠れ場に住む者」と「全能者の陰に宿る者」とはイコール、同義です。このように二重にたたみかけることによって、密度の濃い交わりを表わそうとしているのだと思います。「隠れ場」「全能者の陰」を、ある人は「至聖所」だと解釈しています。「至聖所」とは契約の箱が置かれた所で、幕屋の最も奥深くにある場所、神の臨在のある場所であって、神が人に語りかける唯一の場所でした。旧約においては、モーセや大祭司アロンといった特別な者以外は入ることは許されませんでしたが、今や、キリストにある者ならだれでも自由に入ることのできるシークレット・プレイス(the secret place)です。そこはだれにも知られることのない愛の秘密の隠れ場といえます。 そのような隠れ場を持つ者は、全能者の陰に「宿る」-abide, remain(とどまる) rest(休息する、休む)-のです。

◆神との密度の濃い霊的な交わりの場、その場こそ信仰者のいるべきところです。限られた人生を、自覚的に、一刻でも長く主と親しい交わりを持つということは、最高の恵みであり、特権です。そしてそこから、永遠的に意味のある、最も生命的な活動が生まれてきます。主イエスご自身が父の陰に宿り、隠れ場をもっておられました。神の栄光はいつもそこから輝きだしたのです。御子イエスが地上において見せて下ったそのかかわりこそ、詩91篇1節が示すものだと信じます。イエス・キリストこそ私たちの信仰の創始者であり、完成者です。

◆自覚的な選択によって「いと高き方を住まいとした」者に与えられる神の祝福が14節以降に次のように記されています。その祝福の中に生かされる者でありたいと願います。

  • ①「彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。」(14節)
    ここでの「愛する」とは「すがりついて離れない」という意味です。人の目も何も気にせず、一途に神を愛する、そのような者を主は決して黙っていません。必ず助けてくださるのです。
  • ②「彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。」
    「知る」とは、愛の一体感とでも言うべき関係です。神の愛と配慮が自分に向けられていることを体験で知っているということです。そのような者を倒すことはだれもできません。
  • ③「彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。」
    a. 「わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。」
    b. 「わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。」 

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