****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

誇るべき福音を伝える

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4. 誇るべき福音を伝える

【新改訳改訂第3版】ローマ人への手紙1章15~17節
15 ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。
16 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。
17 なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。


はじめに

  • パウロはローマの教会に対して「あなたがたにも、ぜひ福音を伝えたい。」と述べています。これがパウロの切なる願いでした。このパウロの願いは「返さなければならない負債を負っている」という負債感から来ています。新共同訳はこのフレーズを「果たすべき責任」と訳しています。パウロの福音宣教の使命は、この強烈な「果たすべき責任」の意識から来ているのです。しかも、パウロは「ギリシヤ人にも未開の人にも、知恵のある人にも知恵のない人にも」と記しているように(これはヘブル人特有の修辞法で、「すべて、あらゆる人々に」という意味)、世界中のすべての人々が含まれているのです。たとえ知恵ある人であっても、あるいは知恵のない人であっても、生まれながらの人は神の霊的な世界のことについては無知であり、神の霊(御霊)が働いてくださらない限り、だれ一人として分からない真理なのです。
  • イェシュアが「多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます。」(ルカ12:48)と語られたように、パウロはまさにイェシュアのことばどおりに生きた人でした。このパウロの負債感、責任感を私たちも持つべきではないかと思います。なぜなら、これらの二つの意識は聖霊によって促されるものだからです。ですから、パウロは「ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです」と記しているのです。「あなたがた」とはすでにクリスチャンとなった人々のことですが、「福音を伝えたい」という言葉の中に、「宣教」と「教育」という教会の働きとしての両輪を見ることができます。
  • ところで、パウロが「福音を伝える」上での強烈な負債意識と同時に、もう一つの理由を挙げています。それは16節の「私は福音を恥とは思いません」という確信です。「福音を恥とは思いません」というのは消極的な表現です。それを積極的な表現にするにはどんな表現がふさわしいでしょうか。それは「私は福音を誇りとする」という意識です。パウロは理由を説明する接続詞「ガル」(γάρ)を二回使ってそのことを説明します。「福音は…信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力」だから。さらに17節も同じく理由を説明する接続詞「ガル」によって、「福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるから」だとしています。今回取り上げる16~17節には、「福音」「信仰」「救い」「神の力」「神の義」といった重要な語彙がまとまっています。つまり、この二つの節はローマ人への手紙全体を要約する聖句なのです。

1. 私は福音を恥とは思わない(私は福音を誇りに思う)

  • パウロはなにゆえにはっきりと「私は福音を恥とは思わない」という心の態度を表明する必要があったのでしょうか。おそらくそれは、福音を聞く人々に簡単には受け入れられない何らかの理由があったからだと思われます。福音の中心はイェシュアの十字架の死と復活の出来事であり、それが意味する事柄です。
    イェシュアの死は美しい死ではなく、見た目には恥辱きわまりない死です。神の御子の死とは思われない死でした。死からの復活も本来あり得ない話です。

(1) 福音に対する当時の人々の反応

  • 使徒パウロは16節で、「福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力」としています。この手紙が「ローマにいる人々」に書かれていることを考えるならば、「ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも」というのは不思議な表現ですが、これは「すべての人々」のことを意味するヘブル的修辞法なのだと理解すれば納得できる話です。しかし、ここでは単にそれだけではなく、異邦人であるギリシヤ人(ローマ人も含む)よりも、ユダヤ人の方が先になっていることが重要です。というのは、ユダヤ人が福音につまずいたので、それが異邦人に向けられるようになったということを含んでいるからです。このことは、ローマ人への手紙の9~11章に「接ぎ木思想」として展開されています。
  • 使徒パウロは、福音ではなく、それ以外のことで「つまずきを与えないようにしなさい」と教会の人々に注意を促していますが、福音は、「ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが」と述べています(Ⅰコリント1:23)。このことはどういう意味なのでしょうか。

①しるしを求めるユダヤ人にとって、福音はつまずきをもたらす

イェシュアの語った「御国の福音」は神のご計画の成就を意味するものでしたが、その話は理解しがたいものでした。当時、政治的なメシアを待望していたユダヤ人にとっては、十字架につけられたイェシュアの姿はまさに失望を与える何ものでもありませんでした。「しるし」とは、政治的なメシアとして異国の支配から救い出してくれる現実的なメシアを意味します。つまり、当時の人々にとってイェシュアの語る話は自分たちの期待から外れるような存在に思えたのです。

② 知恵(最高の価値観)を求めるギリシヤ人にとって、福音は愚かなものに思える

ギリシヤ人は異邦人の代表です。人間にとって最高に価値あるもの、それを実現してくれる存在こそ神(最も価値ある存在)とする者にとっては、福音は「愚かなもの」と考えられました。特に、十字架はすべての者を神の前に罪人としてしまうだけでなく、人間が誇れるようものをすべて完全に崩してしまいます。また、この世における弱い者、取るに足りない者、見下されている者、無に等しい者を神は選び、召し出されます。このような神など、人間の強さや能力をたたえる異邦人の文化においては愚かに見えてしまうのです。

こうしたこの世の価値観のみならず、死者の復活という話も、ギリシヤ人にとっては愚かな話でした。使徒パウロがギリシヤの中心都市であるアテネで伝道したときの様子が使徒の働き17章16~34節に記されています。ユダヤ的背景のない異邦人に対して、しかもユダヤ的価値観とは異なるギリシヤ的価値観の中心的な都市で、福音をどのようにアプローチしたのでしょうか。そのアプローチはユダヤ人にも、そして異邦人にも共通のもの、つまり「死への恐れ」(あるいは「生存と防衛を求める心」)という人間の実存的な心理を背景にしてパウロは語りました。創造者としての神について、人間にいのちを与えた神について、すべての国民、すべての歴史、すべての地を支配しておられる神について、悔い改めを命じている審判者としての神について、そして話が「死者の復活」(イエス・キリスト)のことに話が及んだときに、ある者たちはあざ笑い、他の者たちは「このことについては、また聞くことにしよう」と言ったために、パウロの話は中断してしまいました。パウロは信仰の決断を求めようとしたはずです。しかしそれは保留されたかたちで終わっています。これは伝道としては失敗です。これをパウロの「アテネ・ショック」と言います。


(2) パウロの「アテネ・ショック」

  • パウロの「アテネ・ショック」は、福音宣教の働きに携わる者にとっては日常茶飯事です。ですから、福音を語ることを恥じるようになってしまいやすいのです。復活という事実はさらりと語って(添えるような話として語って)、人受けのする愛や平安について語ろうとします。しかし、パウロのいう「福音」は、十字架と復活の事実に基づいた話ですから、それを軽く流して語るようなことは決してできない話なのです。その意味において、使徒パウロは、こうしたつまずきや愚かさとして受け取られる「福音を恥とせず」、むしろ「福音を誇り」として語り続けることを宣言しているのです。なぜなら、福音には、それを信じるすべての人を救う神の力があるからです。

2. 福音は、信じる者を救う神の力である

  • 福音を恥としない理由の第一は、福音は信じる者を救う神の力であるからです。「神の力」は原文では「デュナミス・セウー」(δύναμις θεοῦ)、つまり、救いをもたらす「神のダイナマイト」です。福音にはそうした潜在的な力があるのです。ノーベル博士が発明したダイナマイトの語源がギリシヤ語の「デュナミス」です。どんな硬い岩盤をも砕く力があります。
  • この世においては力のある者が勝利を収めます。ですから人々は力を求めます。その力は様々です(知力・能力・財力・権力・技術力・洞察力・・などなどです)。しかし、この世のどんな力をもってしても、人間を根底から造り変えることはできません。どんな教育の力をもってしても不可能です。ところが、福音にはその力があるのです。使徒パウロは自分がどんなに努力しても、自分の力で神の聖なる律法にしたがって生きることはできないことを認め、降伏しています。なぜなら、人間の内にはいかなる努力によっても及ばない罪の力が原理(法則)のように働いているからです。

【新改訳改訂第3版】ローマ人への手紙 7章15~24節
15 私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです。
16 もし自分のしたくないことをしているとすれば、律法は良いものであることを認めているわけです。
17 ですから、それを行っているのは、もはや私ではなく、私のうちに住みついている罪なのです。
18 私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。
19 私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。
20 もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。
21 そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。
22 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、
23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。
24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。


  • パウロは24節の叫びの中から、神の福音にある神の力を見出したのです。それは罪の原理ではなく、御霊の原理です。そのことはこれからじっくりと学んでいきます。ここでは、福音には信じる者を救う神の力(ダイナマイト)が働くこと、そして、その力がすべての信じる者に働くことを心に留めたいと思います。例外はありません。この福音の力を得るための唯一の条件は何でしょうか。それは「信仰」です。そしてこの「信仰」さえも、神が与えてくださらなければ働かせようがないのです。

3. 福音には、神の義が啓示されている

  • パウロが福音を恥としていない第二の理由は、福音の中には神の義が啓示されているからです。「神の義」とは、ローマ書にとって重要な語彙です。なぜなら、「義」とは神との正しいかかわりを意味するからです。ところが、パウロによれば、「義人はいない。ひとりもいない。」(3:10)のです。「神の義」を得る唯一の手段は、「イエス・キリストを信じる信仰」だけです(3:22)。行ないによって「神の義」を得ることはできません。
  • 「義」は「救い」と同義です。福音にはいかにして「義」を得ることができるのかが啓示されています。るのです。それはイェシュアを信じることですが、「イェシュアを信じる」とはどういうことかも、パウロは手紙の中で教えて行きます。福音には、イェシュアの十字架による身代わりの死、血による贖い、和解、イェシュアのよみがえり(復活)、いのちの御霊による原理(法則)、救いの究極としてのからだの贖い、審判、永遠のいのち、などが含まれます。イェシュアを信じることはこれらすべてを含みます。ですから、イェシュアを信じる信仰によって、神の義が得られ、救われるのです。特に、「からだの贖い」は将来のことですが、信仰者はその望みによって今を生きています。その望みはこの世におけるあらゆる苦しみをも乗り越えさせる力となり、「圧倒的な勝利者」(8:37)となることを保証するのです。
  • 「福音」とは、神の賜物である神の御子イェシュアご自身と言えます。その「福音がもたらす神の力」は、イェシュアを信じる者にしか得ることはできないのです。それゆえ、福音にあずかった者は、福音(=イェシュア)を恥とせず、むしろ福音(=イェシュア)を誇りとして、その方をあがめ、その方の内に生き、そして、その方を宣べ伝える者とならなければなりません。福音の宣教の働きは、教会の重要な働きです。と同時に、福音を伝えることはイェシュアご自身をより深く知ることでもあります。ですから、福音の内容についてもしっかりと学ぶことも重要です。宣教と教育は教会の両輪です。そのためにパウロはローマにいる人々に手紙を書く必要があったのです。
  • 使徒パウロは愛弟子のテモテに次のように教えています。

【新改訳改訂第3版】Ⅱテモテ4章1~4節
1 神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思って、私はおごそかに命じます。
2 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
3 というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、
4 真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。


1994.10.2


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