****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

誘惑は思わぬところからやってくる

【補完8】誘惑は思わぬところからやってくる(信仰の戦い)


【聖書箇所】申命記 13章1~18節

ベレーシート

  • ヘブライズムの骨頂は、「唯一の神への信仰と従順」です。申命記13章では、この信仰をなし崩しにする三つの誘惑(試みとなるもの)があることを警告しています。しかもそれらは思わぬ所からやってくる現実的な問題なのです。そうした者たちの出現を許しているのは神であり、その真意はイスラエルの民を試すこと(「ナーサー」נָסָהの分詞「メナッセ」מְנַסֶּה)にあったのです。民を試すことの真意は、神の第一戒である「神である主を愛する」かどうかを知るためのものでした。
  • 新改訳の申命記12章32節を、新共同訳、岩波訳では13章1節としています。したがって、13章だけは節が1節ずれています。ちなみにこの箇所は、神のことばを改変すること、つまり何もつけ加えたり、何も削ったりしてはならないことが警告されています。4章2節にも同様のことが記されています。正典定式とも呼ばれ、ヨハネの黙示録22章18~19節にも見られます。


1. 預言者または夢見る者による誘惑

  • 1節にある「預言者」(「ナーヴィー」נָבִיא)と「夢見る者」(「ホーレーム」חֹלֵם)は、いずれも宗教的指導者のことです。旧約では夢を通して多くの啓示が与えられました。しかもその夢は預言的性格をもっていたのです。ちなみに、ヤコブもヨセフも夢の中で神のご計画の啓示を受けています。同様に、主の名によって語った偽預言者たちも、「私は夢を見た・・」と言って人々をあざむいたのです。
  • 「預言者または夢見る者」の誘惑の力とは、「しるしと不思議の現われ」でした。「目に見える」不思議な出来事を通して、人々を神ならぬもの(ほかの神々)へと誘惑しようとしています。「奇蹟的な出来事を見れば、きっと神の存在と力を信じるに違いない」と多くのキリスト者も考えてしまうことがあります。しかしそのことによって、神だけを唯一の神として愛する正しい信仰を持つとは限りません。一時の惑わしであるかもしれないのです。神に敵対するサタンも奇蹟を起こす力を持って、イスラエルの民を主の道から迷い出させようとしているのです。それゆえ、そうした力を行使できる宗教的指導者には気をつけなければなりません。聖書は「その預言者、あるいは、夢見る者は殺されなければならない。」(申命記13:5) としています。

2. 家族や親友による誘惑

  • 自分にとって身近な存在である兄弟、自分の息子や娘、あるいは自分の「愛妻」や「無二の親友」も、主の道から迷い出させる存在となりうることが指摘されています。もし、彼らがひそかにあなたをそそのかして、他の神々に仕えようと言うかもしれない。その場合、「あなたは、そういう者に同意したり、耳を貸したり・・、あわれみをかけたり、同情したり、・・かばったりしてはならない」と(同、13:8)しています。
  • 6節に「あなたの愛妻」、および「あなたの無二の親友」とあります。なぜ、「あなたの妻」「あなたの友」とせずに、より強い関係を表わす「愛妻」「無二の親友」と訳したのでしょうか。それはたとえどんなに近しい存在であったとしても、という含みがあります。

①「あなたの愛妻」・・「エーシェット・ヘーケハー」(אֵשֶׁת חֵיקֶךָ)。岩波訳は「あなたのふところにいるあなたの妻」(岩波訳)と直訳的に訳しています。ヘブル語の「ヘーク」(חֵיק)は最も近しい関係であることを表す語彙です。ヨハネ福音書の1章18節に「父のふところにおられるひとり子の神」という表現がありますが、それは御父と御子の親しい関係を表わすヘブル的表現です。

②「あなたの無二の親友」・・「レーアハー・アシェル・ケナフシェハー」
(רֵעֲךָ אַשֶׁר כְּנַפְשְׁךָ)。直訳は「あなたのいのち(魂)に等しいところのあなたの隣人」、あるいは、「あなた自身であるところのあなたの隣人」、これが「親友」を意味するヘブル的表現です。ダビデとヨナタンの関係はまさに「無二の親友」のような関係でした。

  • いずれもこれ以上の関係はないという親しいかかわりの存在であったとしても、神との愛の関係から引き離すのであれば、きっぱりとその関係を優先することを止めなければならないのです。同意したり、耳を貸したりしてはならないのです。

3. 世俗的な指導者たちの誘惑

  • 第三の誘惑は、イスラエルの中から出た「よこしまな者たち」(「ベネー・ヴェリッヤアル」בְּנֵי־בְלִיַּעַל)によるものです。「よこしまな者」(新共同訳は「ならず者」と訳しています)と訳されたヘブル語は「ベリッヤアル」(בְּלִיַּעַל)は、二つの語彙からなっています。一つは「無い」を意味する「ベリー」(בְּלִי)、そしてもう一つは「価値」を意味する「ヤアル」(יַעַל)です。二つが合成されて「価値のない者」という意味になります。これは後に「サタン」の別称となります。
  • 使徒パウロはⅡコリント書6章15節で「キリストとベリアルとに、何の調和があるでしょう。」と記していますが、そこにある「ベリアル」(Βελιάρ)がヘブル語の「ベリッヤアル」(בְּלִיַּעַל)のことなのです。それは神を恐れず、神を知ろうとしないよこしまな指導者たちが、その町の住民に対して、ほかの神々に仕えるように迷わせたという事実が確かであれば、その町と住民を火で焼いて聖絶しなければならないとしています。
  • 主にある者たちが「ベリアル」とつり合わぬくびきをいっしょにつけないためにも、事実を「調べ」「探り」「よく問いただす」べきことを神のトーラーの中ですでに命じているのです。以下は真実を求める「調査用語」です。

①「調べ(尋ね)」(「ダーラシュ」דָּרַשׁ)
②「探り」(「ハーカル」חָקַר)・・申命記13章14節が初出箇所となっています。
③「よく問いただす」(「シャーアル」שָׁאַל)・・初出箇所は創世記24章47節。

  • 黙示録にある「七つの教会」のうち、フィラデルフィヤの教会を除くすべての教会は「ベリアル」に支配された教会と言えます。教会の花婿である主キリストが、そのことを「調べ」「探り出し」「問いただして」くださったのです。それゆえ、耳のある者は聞かなければなりません。


2017.10.13


a:468 t:3 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional