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諸国に対する主の宣告「わたしは取り消さない」(2)

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2. 諸国に対する主の宣告「わたしは取り消さない」(2)

【聖書箇所】アモス書2章1~16節

 画像の説明

3. リフレインを用いた神のさばきの宣告 (続)

  • アモス書1章で、リフレインを用いた神のさばきの宣告は2章でもさらに続きます。ここでは、(6)モアブ(2:1~3)、(7) ユダ(2:4~5)、(8)イスラエル(2:6~16)の三つの国に対する神のさばきを取り上げます。

(6) モアブ
理由・・エドムの王の骨を焼いて灰にしたから。
刑罰・・主はモアブの町々に火を送って宮殿を焼き尽くす。また、さばきつかさたち、すべての首長たちを切り殺す。2章2節の「ケリヨテ」(原語は「ケリヨーット」קְרִיּוֹת)は「町々」という意味。

(7) ユダ
理由・・主の律法を捨て、そのおきてを守らず、父祖たちが従った偶像に従ったため。
刑罰・・主はユダに火を送ってエルサレムの宮殿を焼き尽くす。

(8) イスラエル
理由・・具体的には、以下の通り。

人身売買(6節)・・金のために正しい者を売り、一足のくつのために貧しい者を売った。「一足のくつのため」とは、「取るに足りないもののため」という意味。
貪欲(7節)・・物欲のために弱い者の頭を地のちりに踏みつけた。
不正(7節)・・貧しい者の道を曲げた。つまり、賄賂によって裁判が左右されていた。
不道徳(7節)・・父と子が同じ女(神殿娼婦)のところに通っていた。
非情(8節)・・祭壇のそばで、質に取った着物の上に横たわっていた。
不敬虔と放縦(8節)・・罰金で取り立てたぶどう酒を、彼らの神の宮で飲んでいる。

刑罰・・束を満載した車が押さえつけるように、イスラエルを押さえつける。神のさばきから逃れる道はない。

  • イスラエル(北イスラエル王国)に対する神のさばきの宣告は、他の国々よりも詳しく述べられています。経済の豊かさ(繁栄)は必ずしも人間の精神を向上させることがないことを思い知らされます。むしろ反対に、想像を越えるような堕落と腐敗を社会に蔓延させます。3章以降で、アモスの預言はこの北イスラエルにぴったりと照準を合わせます。
  • 神の刑罰としてのさばきはすべて「火」によってもたらされます。「火」は最も破壊力があり、防衛システムを完全に崩壊させます。神の最後のさばきは「火の池」です(黙示録3回ー19:20/20:14, 15)。

4. イスラエルに対する神の恩寵にもかかわらず

  • 北イスラエルに対する神のさばきの宣言のただ中で、神がどれほど彼らに恩寵を注いできたかが述べられています。

【新改訳改訂第3版】アモス書2章9~11節

9 エモリ人を彼らの前から滅ぼしたのは、このわたしだ。彼らの背たけは杉の木のように高く、樫の木のように強かった。しかし、わたしはその上の実と下の根とを滅ぼした。
10 あなたがたをエジプトの地から連れ上り、荒野の中で四十年間あなたがたを導き、エモリ人の地を所有させたのは、このわたしだ
11 わたしは、あなたがたの子たちから預言者を起こし、あなたがたの若者から、ナジル人を起こした。イスラエルの子らよ。そうではなかったのか。──【主】の御告げ──

  • ここで特徴的な言葉は「このわたしだ」という主の宣言です。原文には「この」という言葉はありませんが、「わたし」を強調するための訳意が込められています。原文では「わたしは」(「アーーヒー」אָנֹכִי)で始まっています。
  • わたしが
    ①「エモリ人を彼らの前から滅ぼした。」
    ②「あなたがたをエジプトの地から連れ上り、荒野の中で四十年間あなたがたを導き、エモリ人の地を所有させた。」
    という神の主権的な恩寵です。
  • エモリ人」(「アモリ人」とも表記されますが、原語は「エモーリー」אֱמוֹרִיです。)とは、イスラエルの民がカナンを征服する前の「カナン」の地に住む者たちの総称です(創世記14:7/15:16参照)。このエモリ人のことを、主は「彼らの背たけは杉の木のように高く、樫の木のように強かった」と述べています。「杉」も「樫の木」も力ある存在の象徴です。しかし、主は彼らを滅ぼして、カナンの地に神の民が住むようにされたのです。しかも彼らが神の民として常にふさわしく生きるようにと、新しい世代ごとに、神の御旨を語る預言者と清い生活をする実践者であるナジル人を起こされました。にもかかわらず、「それなのに」(12節)です。
  • 「ハレルヤ。主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」という有名なフレーズは、現在においてもしかり(アーメン)ですが、神のマスタープランにおける最終段階では神の真実に対する永遠の告白として、最高度の「しかり」(アーメン)に達するのです。まだ目に見えずとも、心踊らされるこの望みと確信こそ、私たちを大胆にさせるのです。

2015.2.4


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