霊的な味覚に対する好奇心の必要
46. 霊的な味覚に対する好奇心の必要
- 私たちの五感のすべてを使って神と交わる観想の祈りについてふれましたが、私たちが毎日口にする食事も、五感のすべてを使って味わっています。目で味わい、耳で味わい、鼻で味わい、手や舌の感覚で味合う、これらのすべての感覚をフル動員して食べています。グルメとは、脳のあらゆる感覚器官が研ぎ澄まされた人のことだと言えます。
- ところで、詩篇の瞑想は、ただ与えられて食べる側よりも、料理を作る側に近いかもしれません。それは詩篇という素材から味の感動を引きだすからです。まず自分が作っておいしいと思うことが大切です。では、料理にとって一番大切なものはなんだろうか。それは舌、つまり、味覚です。視覚も臭覚も、料理にとっては大事なことですが、まずは味覚が第一条件です。味覚は生まれ育った環境にも影響されますが、経験によって鍛えられ、磨かれます。
- 昨今、ファースト・フードやコンビニの影響で、味覚の平均化がどんどん進んでしまっています。かつての「おふくろの味」は今や特別な料理となってしまっています。味覚の感性を磨くためには、出されたものをただ食べているだけではダメです。もっと美味しいものを食べたいという意欲が大切です。
- 詩篇の瞑想の舌も、霊的な味覚の好奇心が必要ではないかと思います。もっと神とのすばらしい交わりの世界を味わいたい、堪能したいという好奇心と意欲です。驚きも感動も満足もそこから生まれてきます。詩篇から、自分の霊の舌で、新しい味覚をどんどん自分の中にすり込む経験をすることが必要です。