黙示か、啓示か、明示か、それとも天啓か
ヨハネの黙示録を味わうの目次
1. 黙示か、啓示か、明示か、それとも天啓か
【聖書箇所】 1章1節
【新改訳改訂第3版】
1:1 イエス・キリストの黙示。これは、すぐに起こるはずの事をそのしもべたちに示すため、神がキリストにお与えになったものである。そしてキリストは、その御使いを遣わして、これをしもべヨハネにお告げになった。【新共同訳】
1:1 イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストにお与えになり、そして、キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである。【塚本訳】
1:1 これは(王国来臨の奥義に関し)イエス・キリストの(与え給うた)黙示(である。)すなわち(必ず)直に起こらねばならぬことをその僕達に示すために、神が彼に与え給うたものを、彼がその使いを遣ってその僕ヨハネに示し給うたものである。
1. 「アポカリュプシス」の訳語について
- 「ヨハネの黙示録」という預言書のタイトル名がついていますが、原文には、「イエスキリストのアプカリュプシス」で始まっています。「アポカリュプシス」、このギリシア語は黙示録ではここ一箇所しか使われていませんが、タイトルの言葉ですから、覚えたいところです。ところが、この語彙は舌を噛みそうです。一回で読める人は大した者です。黙示録の一番最初の言葉からして、なじみにくい言葉なのです。ですから逆に、このことばをいつでもどこでも正確に言えるように、覚えてしまうことで(いわば飲み込んでしまうことで)、この書を味わっていく最初の取り組みとしたいものです。
- 「アポカリュプシス」です。その動詞は「アプカリュプトー」(άποκαλύπτω)で、「現わす」という意味です。したがって、名詞の「アポカリュプシス」は「現すこと」、隠されていたものの覆いを取って真相を明らかにすることを意味します。ですから、「啓示」「明示」「天啓」「公開」という言葉がふさわしいと思うのですが、なぜか「黙示」と訳されてきたのです。「黙示」ということばのイメージはなにか秘密めいたことが記されているようなイメージを与えます。小畑進氏によれば、この書が「黙示録」、あるいは「ヨハネの黙示録」と呼ばれたのは二世紀だとしています。
- 内容的にも、世の終わりにおけるイエス・キリストに関する啓示について記されているのですから、本来的には「イエス・キリストの啓示(あるいは「啓示録」)と訳されるべきです。
- 語彙的にも、聖書で「黙示」という訳語自体もここ一回限りで、特別にそのように訳さなければならない必然性はないのです。慣習というのは本当に面白いものです。ひとたび作られて用いられてきた慣習に対して、別のものをあえて使うことはとても勇気のいることです。私的には、「イエス・キリストの啓示録」が自然かなと思います。
2. イエス・キリストの啓示録のテーマは「起こるはずのこと」
- 本書のテーマは、神のご計画の中ですでに決定されている「起こるはずの事」の啓示にかかわることです。「後に起こること」という用語は、ダニエル書が取られています。
【新改訳改訂第3版】ダニエル書 2章28~29節、45節
28 しかし、天に秘密をあらわすひとりの神がおられ、この方が終わりの日に起こることをネブカデネザル王に示されたのです。あなたの夢と、寝床であなたの頭に浮かんだ幻はこれです。
29 王さま。あなたは寝床で、この後、何が起こるのかと思い巡らされましたが、秘密をあらわされる方が、後に起こることをあなたにお示しになったのです。
45
あなたがご覧になったとおり、一つの石が人手によらずに山から切り出され、その石が鉄と青銅と粘土と銀と金を打ち砕いたのは、大いなる神が、これから後に起こることを王に知らされたのです。その夢は正夢で、その解き明かしも確かです。」
- 本書では、「後に起こること」がすでにイエス・キリストによって啓示(開示、明示)されているのです。それゆえ、そのことに特別な関心と注意を払うことはきわめて重要なのです。
3. 啓示のプロセス
- 1節には「啓示のプロセス」について記されています。そのプロセスとは、「神からイエス・キリストへ」、「イエス・キリストから御使いへ」、「御使いからヨハネへ」、そして3節では「ヨハネから私たちへ」という流れです。
- 「キリストから御使いへ」というこのプロセスは、聖書の著者の半分以上が御使いの手を通して与えられていることによります。使徒7章53節には、モーセの律法が御使いによって定められたとステパノは証言しています。ヘブル人への手紙1章14節には、御使いは仕える霊であるとあります。
- 旧約時代において、すでに世の終わりに起こることが預言者ダニエルに示されていました。しかしその時は、それを「封印する」ように神に命じられた経緯があります。
⇒「ダニエルに示された封印された幻」についてはこちらを参照のこと
4. 語彙
- 今回の1章1節の中にある語彙で、この「啓示録」の中でも良く使われている語彙(前置詞を除く)を挙げておきたいと思います。使用頻度数の表示は、前が啓示録、後が新約聖書です。
(1) 「御使い」(名詞「アンゲロス」άγγελος)67/175回。
(2) 「知る」(動詞「ギノマイ」γίνομαι)38/669回
(3) 「必ず~に(なる)」(動詞「デイ」 δεί)7/101回。
神の定めによって、必ず定められていることが起こること。
(4) 「見る」(動詞「ディドーミ」 δίδωμι)58/415回
(5) 「奴隷、しもべ」(名詞「ドゥーロス」δούλος)14/124回
(6) 「神」(名詞「セオス」θεός)96/1316回
(7) 「イエス」(固有名詞「イエスース」Ίησούς)14/911回
(8) 「キリスト」(名詞「クリストス」Χριστός)7/529回
(9) 「速さ」(名詞「タコス」τάχος)2/8回
(10)「知らせる、告げる、示す」(動詞「セーマイノー」σημαίνω) 1/6回
最後に
- 本書を最も嫌うのはサタンです。なぜなら、自分の最後が記されているからです。ですから、難しいと思わせたり、いろいろな解釈があると言わせて、その信ぴょう性を疑わせたり、できるだけ読まないように仕向けようとしたりすることでしょう。しかし、むしろ逆に、主によって贖われた者たちは、この書を真剣に理解して読む必要があるのです。なぜなら、この書は封印されることなく、これから必ず起こる事がすでに公開されているからです。
2013.11.8
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