****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

当為から意欲への霊性変革

13. 当為から意欲への霊性変革 

1. 二通りの生き方(当為と意欲)

  • 私たちの生き方には二通りあります。一つは、「したいことをする」生き方です。もう一つは、「しなければならないことをする」生き方です。「したいことをする」生き方は、人からなにかを言われてするのではないのですから、自由があり、自発性があります。そして当然のことながら意欲が見られます。しかも意欲は創造性をはらんでいます。人からよく見られたいためにするのではありません。ただ自分がそうしたいからする生き方です。しかし私たちの生き方を見ると、「しなければならないからする」という生き方の方が圧倒的に多いのではないかと思います。
  • 「しなければならないこと」には「かせ」があります。それを「義務」とか「きまり」とかという風に言います。しかし「したいことをする」のは「かせ」がありません。自由です。しかしこの二つは本来、結びつきません。ところが、詩篇119篇にはこの二つが しっかりと結びついているのです。2節を見ると「主のみおしえによって歩む⼈々」、すなわち、「主のさとしを守る人々」とは(いずれも同義)、「堅く守るべき戒めを仰せつけられた」という⾯と「心を尽くして主を尋ね求める」という⾯の⼆つの⽣き⽅がかみ合っています。つまり、当然なすべき生き方と、自ら自発的・意欲的に生きようとする生き方が重なっているのです。こうした二つの生き方が、この詩篇119篇では各段落ごとに繰り返されているのです。

2. 二つの生き方を結びつけた苦難の経験

  • この詩篇119篇にはバビロン捕囚という痛く辛い経験が背景にあります。この世と同じ幸福を求めて、偶像礼拝によって歩んだつけが亡国という憂き目でした。しかし、それは神の民を再建させるための神の愛に満ちた厳しい鞭でした。預言者エレミヤはエルサレムからバビロンにいる捕囚の人たちに対してこう預言しました。
  • 以下、エレミヤ書29:10~14。
    「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこのところ(エルサレム)に帰らせる。わたしはあなたがたのために建てている計画をよく知っているからだ。ー主のみ告げー それはわざわいの計画ではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。あなたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。わたしはあなたがたに見つけられる。・・わたしは・・あなたがたを引いていった先から、もとの所に帰らせる。」と。
  • 神の民は、実に、三世代をかけて熱心に神を尋ね求めるようになり、そして神を見出したのです。神をどんな宝よりも愛することを喜びとする者となりました。それは神が彼らに与えていたトーラーに神の愛を見出したからです。

苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。
私はそれであなたのおきてを学びました。
あなたの御口のおしえは、私にとって、
幾千の金銀にまさるものです。(71,72節)

2011.5.13


a:2654 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional