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12歳のイエスに対する驚き

8. 12歳のイエスに対する驚き

【聖書箇所】 2章40~52節

はじめに

  • ルカ2章41~52節の箇所はルカ独自の記事です。イエスが誕生されてから、公生涯に入られる30歳までのことについて、私たちはその全貌を知ることができませんが、ルカはひとつの出来事を取り上げることで、イエスの全生涯のコンデンス(あるいは、萌芽)を私たちに見せてくれています。
  • 一人の作家の処女作には、その作家の生涯かけて展開されていくテーマが隠されていると言われます。同様に、ルカが記す12歳のイエスのエルサレムでの出来事の中にも、イエスという人物の生涯がコンデンスされているのです。
  • ユダヤ人は13歳で成人式を迎えます。その1年前のイエスの姿が人々の目に、あるいは、両親の目にどのように写ったのかを知る上において、この箇所は貴重な資料と言えます。

1. イエスに対する二つの「驚き」

  • ルカ2章41~52節の箇所にはイエスに対する二つの「驚き」の反応が記されてます。一つは、イエスが律法の教師たちと問答している様子を見た人々の「驚き」です。もう一つは、イエスの両親が同じく見た「驚き」です。イエスの知恵(洞察)と答え方に対する人々「驚き」と、イエスの両親の「驚き」の反応は異なっているのです。
  • この違いは新改訳と新共同訳の聖書ではその違いが分かりませんが、それ以外の聖書はこの二つの「驚き」の違いを明確に訳しています。
ルカ2:47ルカ2:48
原語「エクシトテーミ」 εξιστημι「エクプレーッソー」 εκπλησσω
GKナンバーと頻度GK.2014; 17/NTGK.1742; 13/NT
反応の主体人々のイエスに対する反応両親のイエスに対する反応
反応の対象イエスの賢い受け答えぶりに対して教師たちとやりとりしているイエスの姿を見ての反応
1新改訳驚く驚く
2新共同訳驚く驚く
3口語訳驚嘆する驚く
4柳生訳驚嘆する驚く
5フランシスコ会訳驚嘆する驚く
6エマオ訳驚愕する唖然とする
7バルバロ訳不思議がる驚く
8岩波訳正気を失うほど驚く仰天する
9塚本訳舌をまく驚く
10蓮見訳驚嘆するびっくりする
11泉田訳すっかり驚く呆れる
12リビングバイブル訳舌を巻く面食らう
語義(織田昭篇「新約聖書ギリシャ語小辞典」)「エクシステーミ」εξιστημιは、冷静な、正気の状態から外へ出してしまうこと。甚だしく驚く、驚きに打たれる、驚愕する、気が狂う。「エクプレーッソー」 εκπλησσωは、びっくりする、驚愕する、仰天する、(たまげて)唖然となる。
引用箇所&size(12){マタイ12:23、マルコ2:12/3:12/5:42/6:51、ルカ2:47/8:56/24:22、使徒2:7,12/8:9,11,13/9:21/10:45/12:16、2コリント5:13マタイ7:28/13:54/19:25/22:33、マルコ1:22/6:2/7:37/10:26/11:18、ルカ2:48/4:32/9:43、使徒13:12};
動詞の文法3人称、複数、未完了過去(~していた)、中態3人称、複数、第二不定過去(アオリスト,~した)


2. イエスの生涯の秘密

  • イエスは「知恵に満ちて」成長していきましたが、その成長ぶりがいかなるものであったかを、人々は驚きをもって見たのです。その「驚き」はやがて、イエスが公生涯の働きに入って話された教えを「こんな教えは今まで聞いたことがない」と言わせることにつながって行きます。また、イエスの奇蹟に対しての反応も同じく驚きに打たれるほどでした。
  • イエスの両親の「驚き」は、今まで見せたことのない息子の姿に唖然としたのです。その唖然さは、イエスの語られたことばに対する反応にもつながってきます。「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の乳の家にいるのを、ご存じなかったのですか。」ということばを両親は全く理解することができませんでした。こうしたすれ違いが両親のみならず、やがて弟子たちに対しても、民衆に対しても起こりますが、その萌芽がここに見られます。また、このイエスのことばはイエスの働きの秘儀とも言えることばです。イエスはいつも「父の家に、父のふところの中にいた」ことを示しています。「父の家に住む」ことこそ、イエスの生涯の力の源泉であり、隠された部分だったのです。
  • イエスが公生涯に入られるまでには、さらに18年の月日があります。しかし聖書はその間のことに全く触れていません。隠されています。しかし、ルカ2:52にそのヒントとなるフレーズがあります。それは「イエスはますます知恵が進み」という部分です。40節にも「幼子イエスは成長し、強くなり、知恵に満ちて行った」とあります。
  • 「知恵が進む」とか「知恵に満ちる」とは、単に、神の知識を持つことではありません。それは、多くの知識と知識がつながることによって、知識の背後にある神の御旨を把握していく能力です。この知恵が十分に育つまで、イエスの場合、30年間の準備が必要だったと言えます。ですから、イエスはどんな律法学者にも劣ることはありませんでした。神の知恵に満ち溢れるような成長を遂げていきました。それは神に愛されている一つのしるしでもあるのです。
  • 神の御旨が記された聖書は、神の側から言うならば、その全体のすべてが一本の線で繋がっているのです。使徒パウロはローマ書11:33において、神の知恵の深さに感嘆の声を上げています。

    ああ、神の知恵と知識との富は、なんと底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と測り知りがたいことでしょう。」(新改訳)

  • 人知や人の力で到底及ぶところではない神の知恵に、神の恵みによって、聖霊の助けによって、進んでいけると信じる者は幸いです。

2011.5.26


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