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2章18節


創世記2章18節

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【新改訳2017】
また、神である【主】は言われた。「人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう。」


  • 何故、神である主は「人がひとりでいるのは良くない」と言われたのでしょうか。「人はすべての家畜、空の鳥、すべての野の獣に名をつけた。」ということは、人が彼らを支配するものであったことを意味します。「しかし、アダムには、ふさわしい助け手が見つからなかった。」というのが、「人がひとりでいるのは良くない」と言われた理由です。しかし、人がひとりでいるのは良くないことの理由はもっと深いところにあります。エデンの園は天にあるものの写しであり、天におられる神は永遠に交わりの存在です。それゆえに、アダムには神の交わりを映し出す「ふさわしい助け手」が必要とされたのです。創世記1章27節では最初から人が「男と女」に造られていますが、2章ではその理由と目的とプロセスが記されています。
  • ふさわしい助け手」のことを「エーゼル・ケネグドー」(עֵזֶר כְּנֶגְדּוֹ)と言います。「エーゼル」とは「助け手、助ける者」を意味します。「ケネグドー」(כְּנֶגְדּוֹ)の「ネゲド」(נֶגֶד)は「向かい合う」ことを意味し、人称語尾の(וֹ)は「彼の」となり、前置詞の「ケ」(כְּ)は「~のような、~としての」の意で、「彼と向かい合う者としての助け手」とはなります。つまり神はアダムのために彼の最も必要な助け手として、もう一人の人(女)を造られたのです。「助け手」とは、単なるヘルパーとか補助者という意味ではありません。むしろ、「助け手」がなければ欠けを生じてしまうほどに、お互いがお互いを必要としている関係を意味しています。
  • また、18節の「造ろう」と訳された動詞は「アーサー」(עָשָׂה)ですが、22節の「造り上げ」は家を「建て上げる」という意味の「バーナー」(בָּנָה)が使われています。そしてこの語彙(בָּנָה)の中に、実は神の御子を意味する「ベーン」(בֵּן)が隠されていることを悟らなければなりません。教会はキリストの花嫁であり、その花嫁を建て上げるのは花婿なるキリストであるというメッセージが隠されているのです。つまり、キリストの花嫁である教会は花婿キリストの「ふさわしい助け手として」建て上げられるべき存在なのです。天と地の基が置かれる間からそのことは定められていたことを使徒パウロは語っています(エペソ1:4)。


2018.11.28

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