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2章23節


創世記2章23節

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【新改訳2017】創 2:23
人は言った。「これこそ、ついに私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。男から取られたのだから。」


1. 「親密な関わり」としての「骨」

●「骨」の重要なメタファーは、「肉」という言葉を伴いながら(「骨肉」)、家族、親族における親密な関わりを表わします。創世記2章23~24節の「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女(イッシャー)と名づけよう。これは男(イーシュ)から取られたのだから。それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」がそうです。人は最初から孤独な存在として造られてはおらず、交わりをもつ存在として造られました。つまり、対等なパートナーがいなくては本来の有り様を実現出来ません。「向き合うべき存在」として、神は人のあばら骨から女を造られましたが、「あばら骨」とは男と女の一体性を強調する表現です。人はひとりでいるのは「よくない」、そんな孤独にピリオドを打ち、ふさわしい助け手を見出したとき、男が喜びに包まれて叫んだのが、「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。」という言葉でした。男と女との間には、そのような親密な連帯が生じています。その連帯とは、男が父と母から離れて、「ふたりは一体となる」ほどに、強く引き合う力なのです。同様の用法が以下にも見られます。

  • 「ラバンは彼(ヤコブ)に、『あなたはほんとうにわたしの骨肉です。』と言った。」(創世記29:14)
  • 「イスラエルの全部族は、ヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。『ご覧のとおり、私たちはあなたの骨肉です。』」(2サムエル5:1、1歴代11:1)
    「あなたの骨肉」は「アツメハー ウーヴェサールハー」(עַצְמְךָ וּבְשָׂרְךָ)と表記されます。

2. 「父と母から離れて」とは

  • ここに出てくる「父と母」とは何でしょうか。2章で登場する男と女は赤子で生まれたのではなく、最初から大人として存在しています。ではなぜ彼らに「父と母」がいるのでしょうか。これは預言的な意味が隠されています。男と女がキリストと教会を表わす奥義であったことをパウロはエペソ書5章で述べています。「骨と肉」が一つのメタファーとしてそこに奥義があるのとすれば、「父と母」にもメタファーとしてそこに奥義が隠されているに違いありません。イェシュアもパウロも実はこのことを語っているのです。

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