****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

2章8節


創世記2章8節

【新改訳2017】
神である【主】は東の方のエデンに園を設け(=植えた「ナータ」נָטַע)、そこにご自分が形造った人を置かれた(「スィーム」שִׂים)


  • 東の方」(「ミケデム」מִקֶדֶם)・・多くの聖書が「東の方」と訳している「ケデム」(קֶדֶם)ですが、どこを規点として東の方なのかは明確ではありません。この語彙は「昔」「以前」「前」も意味し、その場合の時の「起点を表わす」前置詞の「ミン」(מִן)の省略形でמִを接頭語とした用法で「以前からある」(מִקֶּדֶם)、つまり人を創造される以前からあるとも解釈できます。用例としては、イザヤ書46章10節の「わたしは、終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ」の「昔から」(「ミッケデム」מִקֶּדֶם)がそうです。
  • エデンの園」(「ガン・ベ・エーデン」גַּן־בְּעֵדֶן)。「ガン」(גַּן)とは「四方で囲まれた庭」という意味。七十人訳は「園」を「パラダイス」と訳しています。旧約で「エデンの園」という表現は創世記2章8節の他に、2章15節、3章23, 24節、エゼキエル書36章35節、ヨエル書2章3節の6回です。特に、エゼキエル書36章35節では、イスラエルの全家がメシア王国においてエデンの園のように回復することが預言されています。「エデン」とは神と人が一つ(「エハード」אֶחָד)になることの喜び(楽しみ)を意味します。

【新改訳2017】エゼキエル書 36章35節
このとき、人々はこう言うだろう。『あの荒れ果てていた地はエデンの園のようになった。廃墟となり、荒れ果て、破壊されていた町々も城壁が築かれ、人が住むようになった』と。

  • 神は、患難時代において真に悔い改めたイスラエルの民を約束の地(カナン)に住み着かせ、大いに祝福されます。それによって神がアブラハムと結ばれた契約が完全に成就されるのです。イェシュアの到来(初臨)の目的はイスラエルの家の滅びた羊のところに来られ(遣わされ)、天の御国が近づいたことを宣べ伝えることでした。

  • 「置かれた」。神である主は土のちり(粘土)で人を形造り、それにいのちの息を吹きかけることで「生きるもの」とし、その人はエデンの園に置かれたのです(2:8)。「置いた」という動詞「スィーム」(שִׂים)には、「任命する」という意味もあります。エデンの園に人を何のために任命したのかといえば、第一は、エデンの園を「耕す」ためだとあります(2:15)。これは「仕える」という意味のヘブル語「アーヴァル」(עָבַר)という動詞です。この語彙は祭司用語です。モーセの幕屋で仕える祭司に使われる用語です。つまり、最初の人(アダム)は神に仕えるためにエデンの園に「置かれた」のです。「仕える」と言っても、そこで何かの行いをするというのではなく、神と共に生きるという務めであるつとめが祭司の務めとされたのです。これが「耕す」の本意であり、祭司としての原点なのです。
  • エデンの園に人を任命した第二は、エデンの園を「守るため」です。これについては15節で触れます。

2018.11.29

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