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2章9節「神である【主】は、その土地に、見るからに」


創世記2章9節

【新改訳2017】
神である【主】は、その土地に、
見るからに好ましく、食べるのに良いすべての木を、
そして、園の中央にいのちの木を、また善悪の知識の木を生えさせた。

【聖書協会共同訳】
神である主は、見るからに好ましく、
食べるのに良さそうなあらゆる木を地から生えさせ、
園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えさせた。

ט וַיַּצְמַח יְהוָה אֱלֹהִים מִן־הָאֲדָמָה
כָּל־עֵץ נֶחְמָד לְמַרְאֶה וְטֹוב לְמַאֲכָל
וְעֵץ הַחַיִּים בְּתֹוךְ הַגָּן וְעֵץ הַדַּעַת טֹוב וָרָע׃

べレーシート

●原文の逐語訳は(段ごとに記すと)、
「生えさせた」「神である主は」「地から」
「すべての木」「好ましい」「見るのに」「そして良い」「食べるのに」
「そしていのちの木」「園の中央に」「そして知るための」「善と悪を」
となっています。9節で最も重要なのは、エデンにある園に芽生えさせた「」です。人が永遠に生きるか滅びるかは、「木」をどのように扱うかにかかっています。

1. 「生えさせた」

●見るからに好ましく、食べるのに良いすべての木を、また、園の中央にもいのちの木と善悪の知識の木を、神である主は土(ֲהָאֲדָמה)から「生えさせた」(「ツァーマハ」צָמַח)とあります。人が造られる以前なのか、以後なのかははっきりしませんが、「東の方」を「以前から」と訳すなら、人が造られる以前からエデンの園には「見るからに好ましく」「食べるのに良い」すべての木が芽生えさせられていたことになります。「ツァーマハ」(צָמַח)は創世記2章5節では「地には(בָאָרֶץ)まだ芽生えていなかった」と否定形で使われていました。そこはエデンの園ではなかったのです。

●エデンに生えたすべての木が「見るからに好ましい」とは、「いかにもおいしそう」という意味で、「ハーマド」(חָמַד)の分詞形「ネフマード」(נֶחְמָד)が使われています(創世記3章6節にも)。動詞の「ハーマド」(חָמַד)は「欲しがる、望む、慕う、喜ぶ」を意味し、名詞の「ヘメッド」(חֶמֶד)は「優美」を意味します。また「食べるのに良い」とは、「食べることで良いものをもたらす」という意味で、その「良いもの」とは「いのち」(「ハッイーム」חַיִּים)そのものであり、また、その「いのち」がもたらす「楽しみ」「喜び」「「満足」「安息」と言えます。

●「生える」の「ツァーマハ」(צָמַח)が名詞で使われると「若枝」(「ツェマハ」צֶמַח)となり、それはメシアを表わす比喩となります。「見るからに好ましく、食べるのに良いすべての木」とは神のことばとも、「いのちをもたらすメシアの語ることば」とも言えます。エデンの園の中で、人は「木」に象徴される神のみことばによって生きていたことになります。

2. 「園の中央に」

●「園の中央に」と訳されたことばは「園のど真ん中に」という意味です。「~の中央に」「~のど真ん中に」のことをヘブル語で「ベトーフ」(בְּתוֹךְ)といいます。「中、間、真ん中」を意味する「ターヴェフ」(תָּוֶךְ)の連語形「トーフ」(תּוֹךְ)に前置詞の「べ」(בְּ)が付いた形です。創世記1章6節、3章3,8節も参照のこと。

●いのちの木が園のど真ん中に位置していたということは、いのちの木にはどの方面からでも到達できるということです。ユダヤ教のシナゴーグでは、律法(トーラー)の朗読台は会堂中央位置にその座を占めています。それは、トーラーの教えがすべての出席者から等しい距離にあることを示すためだと言われています。

●出エジプト記 25章8節に「彼らにわたしのための聖所を造らせよ。そうすれば、わたしは彼らのただ中に(בְּתוֹכָם)住む」(新改訳2017)とあります。イスラエルの民が宿営する際、真ん中に幕屋の天幕(「オーヘル」אֹהֶל)が設営され、その周囲にはモーセ、およびアロンと三人の息子をはじめとするレビ族が宿営します。さらにその周囲に十二部族が、東にユダの陣営(両脇にイッサカル、ゼブルン)、南にルべンの陣営(両脇にシメオン、ガド)、西にエフライムの陣営(両脇にマナセ、ベニヤミン)、北にダンの陣営(両脇にナフタリ、アシェル)が配置されます。中央となる広場は、各陣営によって四方から大きく囲まれています。いのちの木が園のど真ん中に位置していたように、天幕を通してイスラエルの神がイスラエルの民のただ中に住まわれたのです。これもエデンの園の型を真似たものと言えます。

幕屋を中心としたイスラエルの宿営

3. 「いのちの木」

●「いのちの木」(「エーツ・ハハッイーム」עֵץ הֲחַיִּים)という語彙は、聖書に11回ー創世記(3回)と箴言(4回)とヨハネの黙示録(4回)ーしか記されていません。とりわけ、ここでは黙示録に記されている「いのちの木」を見てみます。

①【新改訳2017】ヨハネの黙示録 2章7節
耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。勝利を得る者には、わたしはいのちの木から食べることを許す。それは神のパラダイスにある。』

②【新改訳2017】ヨハネの黙示録 22章2節
都の大通りの中央を流れていた。こちら側にも、あちら側にも、十二の実をならせるいのちの木があって、毎月一つの実を結んでいた。その木の葉は諸国の民を癒やした。

③【新改訳2017】ヨハネの黙示録 22章14節
自分の衣を洗う者たちは幸いである。彼らはいのちの木の実を食べる特権が与えられ、門を通って都に入れるようになる。

④【新改訳2017】ヨハネの黙示録 22章19節
また、もし、だれかがこの預言の書のことばから何かを取り除くなら、神は、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、その者の受ける分を取り除かれる。

●ヨハネの黙示録には17箇所の「いのち」に関する記述があります。特に「新しいエルサレム」(22章)においては、「いのちの水」(17節)、「いのちの水の川」(1節)、「いのちの木」(2, 19節)、「いのちの木の実」(14節)があります。「いのち」(「ハッイーム」חַיִּים)は創世記2章における人とエデンの園の特徴です。そこには「いのち」が豊かにあり、しかも贅沢極まりないところです。新しい天から下って来る「聖なる都、新しいエルサレム」(聖なる都エルサレム)も、そのようないのちに満ちた世界です。

4. 「善悪の知識の木」

●これについては、16節で扱いたいと思います。


2020.4.15
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