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2. サムエル記の主題

歴史書(1)の目次

2. サムエル記の主題

(1) サムエル記の主題は「神の王国における王制の基本理念の確立」である。

  • ① 歴史は、カナン定着時代(ヨシュア記、士師記)から王国成立時代へと変化する。脚注1
  • ②サムエル記は、イスラエルに王制が採用された動機と経緯について、しかもその王制採用がどのような理念に基づいて導入されたのかについて記し、王制の導入がイスラエルの社会の構造を全面的に変えてしまうということを警告している。脚注2 
    具体的には王は社会に軍国主義をもたらすという危惧である。サムエルによれば、「王の権利」はひとことにまとめることができる。それは「王は・・・を取る」ということである。民の上に王がふるうこの権力を、サムエルは5回にわたって繰り返している。Ⅰサム8章10~18節参照。

    ⅰ.「 王は・・息子を取る」・・これは徴兵制度の導入。軍事的指揮系統の組織の確立。軍事産業の導入を意味する。
    ⅱ.「王は・・娘を取る」・・・王宮での強制労働
    ⅲ.「王は畑を取る。畑の収穫物の中で最上のものを取る」・・搾取と徴収による経済基盤の形成。
    ⅳ.「王は奴隷と最もすぐれた若者と家畜を取る」・・強制労働。

  • これらは何と主なる神がこれまでしてくださったことと大きく隔たっていることか。主なる神は民にすべてを与え、そしてなお与え続けようとされる恵み豊かな《王》である。にもかかわらず、王制が敷かれるとき、やがて主の具体的な恵みに依存する生き方から遠く離れてしまう危険があった。
  • ③イスラエルの王制の基本理念は、「主なる神こそまことの神」であり、人間の王はあくまでも神の代理者にしかすぎない。この点が世俗的な諸国の王との決定的な違いである。イスラエルの歴代の王たちの中で、この基本理念を貫いたのは残念ながらごくわずかである。為政者として有能であるとか、人間的に善良であるとかいう以上に、真の王である神との関係(=信仰)が、イスラエルの王の場合、唯一絶対の基準であるというのがサムエル記の主題である。

(2) 王制に導入の是非をめぐって

  • ①イスラエルの民が王を求めた歴史的事情

    ⅰ.〔外的事情〕
    a. ペリシテ人の圧力に対する危機感があった。
    ペリシテ人はカナンの西方南部の海岸平野を完全に占領して根拠地とし、その支配圏を徐々に広げていった。彼らは鉄製の武器を持ち、しかも戦略・戦術にたけた職業的軍事組織をもった五都市連合であった。この脅威に対抗するためには、これまでのようにイスラエルが部族単位で戦っていては勝ち目がないと思われた。より強力で中央集権的な体制を作らなければという危機感に駆り立てられたのである。
    b. 強力なリーダーシップに対する渇望があった。・・・ペリシテの脅威にたいしてイスラエルの長老たちが集まり、話し合った結果が、「他のすべての国と同じように、私たちの上に立って私たちを治める王を立てる」ことであった。


    ⅱ. 〔内的事情〕
    a.将来への失望・・最後の士師であったサムエルが年老いて、ふさわしい後継者がいなかった(8章5節)。
    b.士師制度を支えていた「主なる神こそイスラエルの王」という信仰の弱体化(民の霊的低下)。
    神への信仰がしっかりしている時代は王を必要としなかった。ところがこの信仰が衰えると王なしでは国は危うくなる。サムエルの時代は神への信仰が衰えた時代にあった。

  • ②サムエルが王制に反対した理由(8章6節)

    ⅰ. 神政政治の否定につながる危険があった。士師記8章22~23節「主なる神こそわれらを治める王である」という信仰が喪失する懸念があった。


    ⅱ. 神に信頼するよりも、人間に頼る危険性があった。目に見えるものに頼ろうとする誘惑に陥る懸念があった。


    ⅲ. やがて王の圧制に苦しむことになる。王国の私物化、王制を維持するための莫大な負担の懸念があった。王が民から取り上げる土地や収穫は国全体の益となるのではなく、王個人のものとなった。民の息子たちは王の土地を耕し、娘たちは王宮でパンを焼き、香料を作る。「自分の(王の)地」ということばそのものが、きわめて危険な方向に向かっていくかを示している。人間による土地所有という考え方が、周辺諸国からイスラエルに導入されるということは、律法がヨベルの年に土地が再平等化するという要求は、もはや不可能となる。それによって、金持ちは貧しい者を犠牲にして、ますます豊かになる。しかもその両者を隔てる壁は固定化することとなる。「あなたがたのうちに貧しい者はいなくなる」(申命記15章4節)はずであった安息としの目標は否定されることになる。この現実に断固、糾弾したのが預言者である。特に、イザヤ書には公平、正義ということば頻繁に使われている。それはいかにイスラエルの国が神の律法から遠く離れてしまったかを示唆している。脚注3 

  • イスラエルの民が王を選び、周囲のやり方を採用した結果、「あなたがたは王の奴隷となる」(8章17節)とサムエルは預言した。そこにはエジプトで苦しめられていた先祖たちと同じように、奴隷状態の中で「あなたがたが、・・助けを求めて叫ぶ」が、決定的な違いがそこにはある。つまり、「その日、主はあなたがたに答えてくださらない」ということである。しかし、民はサムエルの言うことに耳を傾けることをせず、人間の王を求めたのである (19節)。
      
  • ③神が王制を許容された理由

    ⅰ. 神の計画の中にすでにあった。・・創世記17章14~20節参照。


    ⅱ. すでに王の資格の条件が律法の書に規定されていた。・・申命記17章14~20節。


    ⅲ. 王があくまでも神の代理に徹するならば、王制の採用によっても理想的な神政政治が可能であった。


    ⅳ. 民が他の民のようになりたいという決心が堅いの見て、主はいわばあきらめ口調でサムエルに「彼らに王を立てよ。」と命じられた。・・Ⅰサムエル8章22節。


  • 脚注1
    カナンにはいってからイスラエルは400年間、王国という体制を採らなかった そこにこそイスラエルの特殊性があった。というのも、「主こそイスラエルの王」という信仰理念があったからである。とはいえ、神はあらかじめ申命記17章14節において、王国体制になることを予測し、その場合の王の資格を定められた。そこでは王といえども神に忠実な者を選ぶように命じられている。王は決して専制君主、私欲の追求者であってはならない、またこの世の王に見られる権威者となってはならない事が命じられている。
  • 脚注2
    アラン・グライダー著「<聖>をめざす旅」(東京ミッション研究所、2000年) 117~119頁。参照。
  • 脚注3
    脚注2の同上箇所。
       

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