****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し完成します。******

2.本講義の視座(歴史神学的考察の方法論)について

序論(2) ―新しい歌を主に向かって歌えー


2. 本講義の視座(歴史的考察の方法論)について

ーキリスト教礼拝の二つの傾向・・<預言者的傾向><祭司的傾向>ー

  • 本講義におけるテーマの視座として、由木康著『礼拝学概論』(新教出版社、1961、復刊1998)の中で用いている方法論を援用しながら、「新しい歌」の歴史神学的考察を試みたい。その方法論とは、キリスト教礼拝において対立し交錯する二つの著しい傾向―「預言者的傾向」と「祭司的傾向」-である。これら二つの傾向は、キリスト教のうちに初めて発生したものではなく、その母胎である旧約のイスラエルの歴史から受け継いだものである。
  • 預言者的および祭司的傾向とはどのようなものであろうか。以下の記述は『礼拝学概論』の序論からのノートである。

A.<預言者的傾向の特徴>

●直接的、瞬間的、即興的、改革的(新しい創造)前進的、将来的(展望的)―現状を打破し、局面を展開しようとして迫害を受ける
●流動的、進歩的 ―伝統にとらわれず、将来を望む
●外面的、倫理的、宗教の孤立を警戒する。


B. <祭司的傾向の特徴>

●間接的、持続的、伝統的、存続・継続、回顧的―現在に失望して、過去の黄金時代を描く。
●固定的、保守的―伝統を尊重し、制度を維持して預言者を迫害する。
●内向的、祭儀的、宗教の分散を警戒する。

  • 上記のような相違は、原理的なものであって、歴史的には多くの交流や錯綜があったことはいうまでもない。すなわち、一方には祭司的傾向を多分にもつ預言者がいた。モーセやエゼキエルなどは、両者を兼ねていた人物である。また他方には、預言者的事業を遂行した祭司もいた。しかし、だいたいにおいてこの二つの傾向は、互いに対立していたとみなしてよい。とはいえ、これは全く相容れないものの異質的、相殺的な対立ではない。基盤を同じくするものの補足的、牽制(けんせい)的な対立である。したがって、その解決も、一方を取って他方を捨てることにあるのではなく、それらの双方を緊張関係におき、その一方に重圧を加えて、全体を力強く推進させることにあるのである。
  • ゆえに、預言者的傾向と祭司的傾向とが対立しているからといって、ただちにその一方を取って、他方を捨て去る一面主義に陥ることを、極力警戒しなければならない。それは私たちをイスラエルの宗教の深い理解から遠ざけ、聖書の宗教を救いがたい貧困と枯渇とに追いやる以外の何ものでもない。なぜなら、二つの傾向は、どちらも聖書がみずからのうちに内蔵しているものであり、イスラエル宗教のそれらの対立と交錯とによって、その生命と活力とを常に保持してきたからである。預言者的精神は宗教を振起し、祭司的精神はそれを持続する。祭司的精神に生気を与えるのは、預言者的精神であり、預言者的精神をつなぎ合わせるのは祭司的精神である。前者がなかったならば、宗教の生命を失ったであろうし、後者を欠いたならば、それは断絶していたであろう。生きた永続的な宗教は、それらのどちらをも失ってはならない。双方をみずからのうちに含み、両者を妥協させないで、緊張させ、前者に重点を置くことによって、全体を螺旋的に推進させなければならない。そして、これこそ、新約の秩序において、イエスが実現されたものであった。預言者的傾向と祭司的傾向とは、イエスの新しい秩序において、はじめて生ける統一を得たのである。
  • イエスは古代イスラエルの宗教、特に、礼拝における二つの傾向を統一して、それを弟子たちに伝達された。しかし、原始教会をはじめとして、その後の教会は、果たしてイエスの精神を理解し、それを彼らの礼拝のうちに正しく具現化したであろうか。この問題をできるだけ公平に観察し、事実に即して検討していきたい。


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