****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

2.詩篇18篇の神への信頼

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詩篇は、神と私たちの生きた関係を築く上での最高のテキストです。

2. 詩篇18篇の神への信頼(4~6節)

2. 敵の勢力(4~5節)

【新改訳改訂第3版】詩篇18篇4~6節
4 死の綱は私を取り巻き、滅びの川は、私を恐れさせた。
5 よみの綱は私を取り囲み、死のわなは私に立ち向かった。
6 私は苦しみの中に【主】を呼び求め、助けを求めてわが神に叫んだ。
主はその宮で私の声を聞かれ、御前に助けを求めた私の叫びは、御耳に届いた。


(1) 未曾有の苦しみ(4~5節)

  • 詩篇18篇の背後にいる「敵」は、信仰者個人を呑み込んでしまうほどの「強い」敵でした。その敵を次のように描写しています。

【新改訳改訂第3版】詩篇18篇4~5節
4 死の綱は私を取り巻き、滅びの川は、私を恐れさせた。
5 よみの綱は私を取り囲み、死のわなは私に立ち向かった。


「死の綱」「滅びの川」「よみの綱」「死のわな」はすべて同義です。これらのフレーズは聖書では決して多くありません。

①「死の綱」・・他に、116篇3節のみ。
②「滅びの川」・他に、Ⅱサムエル22章5節のみ。
③「よみの綱」・他に、Ⅱサムエル22章6節のみ。
④「死のわな」・他に、Ⅱサムエル22章6節、箴言13章14節、同14章27節。

特に、「滅び」と訳されたヘブル語は「ベリッヤアル」(בְּלִיַּעַל)で、新約では「ベリアル」という訳で使われています(Ⅱコリント6:15)。「ベリッヤアル」はサタンと同義です。サタンの勢力に「取り巻かれ」「恐れさせられ」「取り囲まれ」「仕掛けられ」てしまった者は、自分の力ではどうすることもできない状況の中に置かれたことを意味します。まさに苦しみの渦中であり、キリストの再臨前に起こる「ヤコブの苦難」「未曾有の苦しみ」を想起させます。

「死の網」「よみの綱」の「綱」は「へヴェル」(חֶבֶל)です。その動詞の「ハーヴァル」(חָבַל)は「縛る」という意味であり、拘束されるイメージです。ちなみに「へヴェル」は「むなしさ」を表す語彙です。頭の文字の「ヘット」(ח)と「へー」(ה)とを見間違えないように。


(2) 「死のわな」から逃れさせるのは「いのちの泉」

  • 「死のわな」というフレーズが箴言にありますが、とても重要です。

【新改訳改訂第3版】箴言13章14節
知恵のある者のおしえはいのちの泉、これによって、死のわなをのがれることができる。

【新改訳改訂第3版】箴言14章27節
【主】を恐れることはいのちの泉死のわなからのがれさせる。

  • ここでは、出口の見えない「死のわな」から逃れることのできる唯一の方法は、「いのちの泉」だと教えています。この「いのちの泉」については以下の箇所でも取り上げられています。

【新改訳改訂第3版】詩篇36篇9節
いのちの泉はあなたにあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。

【新改訳改訂第3版】箴言4章23節
力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。

  • ここで語られている「いのちの泉」は、神の御子イェシュアご自身であり、この方こそ私たちにとっての救いであることを預言しています。また、「いのちの泉」は「生ける水」(ヨハネ4:10, 11、7:38)と同義です。

(3) 「いのちの泉」である主を呼び求めよ

  • 詩篇の作者(ダビデ)はそのような苦しみの渦中から、主を呼び求め(「カーラー」קָרָא)、主の助けを求めて叫んだ(「シャーヴァ」שָׁוַע)のです。そのとき主はその声を聞かれました。敵の強さに対抗できる力は人間の中にありません。しかも主の名を呼び求めることは自分の弱さを認めることです。ところが、主の助けを求めて叫ぶ時、主がその声を聞かれ、尋常さを越えた顕現があることを、次の段落(詩篇18篇7~15節)で記しています。

2016.11.9


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