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28.「ヨハネの福音書の『御父・御子・聖霊のかかわり』のしるし」

28. ヨハネの福音書の『御父・御子・聖霊のかかわり』のしるし

ベレーシート

●前回、ヨハネの福音書14章4~6節を「道・真理・いのち」のしるしとしました。

【新改訳2017】ヨハネの福音書14章4~6節
4 わたしがどこに行くのか、その道をあなたがたは知っています。」
5 トマスはイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。どうしたら、その道を知ることができるでしょうか。」
6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。

●6節のイェシュアの語ったことばは「パラレリズム」です。つまり、前半のことばが後半で別のことばに言い換えられているのです。

わたしが道であり真理でありいのちなのです
わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことできません

●「真理である」とは、一つの例外も認められない普遍的な事柄、時代や状況によって変更されたり変わったりすることのない事柄、動くことのない絶対的な基準であることを意味します。そして「父のみもとに行くこと」とは、すべての源である父と交わり、愛の本源に私たちがかかわることを意味します。父のみもとに行くことが「いのち」(ゾーエー:ζωή)をもたらします。なぜなら「父」は「いのちの源泉」だからです。そしてそこに至る道が「わたし」すなわち御子イェシュアです。ヨハネの福音書はイェシュアと父とのゆるぎない愛のかかわりが語られている宝庫です。特に14~17章には「父・子・霊」の三一のかかわりを示すしるしが数多く記されています

1. いのちの源泉である「御父」の存在

●イェシュアの「わたしを通してでなければ、だれものみもとに行くことはできません」に続いて、「あなたがたがわたしを知っているなら、わたしのをも知ることになります。今からを知るのです。いや、すでにあなたがたはを見たのです」と言ったことに対して、ピリポは「私たちにを見せてください。そうすれば満足します」と嘆願します。

【新改訳2017】ヨハネの福音書14章9~13節
9 イエスは彼に言われた。「ピリポ、こんなに長い間、あなたがたと一緒にいるのに、わたしを知らないのですか。わたしを見た人は、を見たのです。どうしてあなたは、『私たちにを見せてください』と言うのですか。
10 わたしがのうちにいて、がわたしのうちにおられること(=相互内在)を、信じていないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられるが、ご自分のわざを行っておられるのです。
11 わたしがのうちにいて、がわたしのうちにおられる(=相互内在)と、わたしが言うのを信じなさい。信じられないのなら、わざのゆえに信じなさい。
12 まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行い、さらに大きなわざを行います。わたしがのもとに行くからです。
13 またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは、何でもそれをしてあげます。が子によって栄光をお受けになるためです。

●6~13節の中に「」ということばが14回登場しています。、つまり御父はかかわりといういのちの源だということです。

(1)だれ一人見たことがなく、見ることもできない父

①【新改訳2017】ヨハネの福音書6章46節
父を見た者はだれもいません。ただ神から出た者だけが、父を見たのです。
②【新改訳2017】Ⅰテモテへの手紙6章16節
死ぬことがない唯一の方、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれ一人見たことがなく、
見ることもできない方。この方に誉れと永遠の支配がありますように。アーメン。

●「神」ということばによって呼び起こされるのは、明らかに「父」であり、イェシュアの父です。

(2) 御父は源、創始者、計画者

①【新改訳2017】ヨハネの福音書7章29節
わたしはその方(=父)を知っています。なぜなら、わたしはその方(父) から出たのであり、その方がわたしを遣わされたからです。
②【新改訳2017】ヨハネの福音書13章3節
イエスは、父が万物をご自分の手に委ねてくださったこと、またご自分が神(=父)から出て、神(=父)に帰ろうとしていることを知っておられた。

●御父がいのちの源泉、創始者であるゆえに、御子は御父から出て、御父からすべてのものを享受されています。

(3) 御父はみこころをもっておられる

【新改訳2017】ヨハネの福音書6章38~40節
38 わたしが天から下って来たのは、自分の思いを行うためではなく、わたしを遣わされた方のみこころを行うためです。
39 わたしを遣わされた方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしが一人も失うことなく、終わりの日によみがえらせることです。
40 わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです。」

●御子が遣わされたのは、ご自分の意志を遂行するためではなく、御父のみこころを遂行するためでした。みこころとは、「子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせること」だとしています。イェシュアはこう言われます。「わたしを遣された父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとに来ることはできません。わたしはその人を終わりの日によみがえらせます」(44節)。使徒パウロも「あなたがたのいのちは、キリストとともに神のうちに隠されているのです。あなたがたのいのちであるキリストが現れると、そのときあなたがたも、キリストとともに栄光のうちに現れます」(コロサイ3:3~4)と述べています。これが「天に蓄えられている望み」(同1:5)なのです。この望みに生きている人は幸いです。

(4) 御父は御子を遣わした方

①【新改訳2017】ヨハネの福音書4章34節
イエスは彼らに言われた。「わたしの食べ物とは、わたしを遣わされた方のみこころを行い、そのわざを成し遂げることです。
②【新改訳2017】ヨハネの福音書5章24節
まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。
③【新改訳2017】ヨハネの福音書5章30節
わたしは、自分からは何も行うことができません。ただ聞いたとおりにさばきます。そして、わたしのさばきは正しいのです。わたしは自分の意志ではなく、わたしを遣わされた方のみこころを求めるからです。
④【新改訳2017】ヨハネの福音書5章37節
また、わたしを遣わされた父ご自身が、わたしについて証しをしてくださいました。 あなたがたは、まだ一度もその御声を聞いたことも、御姿を見たこともありません。
⑤【新改訳2017】ヨハネの福音書7章16節
そこで、イエスは彼らに答えられた。「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わされた方のものです。
⑥【新改訳2017】ヨハネの福音書7章28~29節
28イエスは宮で教えていたとき、大きな声で言われた。「あなたがたはわたしを知っており、わたしがどこから来たかも知っています。しかし、わたしは自分で来たのではありません。わたしを遣わされた方は真実です。その方を、あなたがたは知りません。
29 わたしはその方を知っています。なぜなら、わたしはその方から出たのであり、その方がわたしを遣わされたからです。」
⑦【新改訳2017】ヨハネの福音書13章20節
・・・わたしが遣わす者を受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。そして、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。」
⑧【新改訳2017】ヨハネの福音書14章24 節
わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わされた父のものです。
⑨【新改訳2017】ヨハネの福音書15章21 節
しかし彼らは、これらのことをすべて、わたしの名のゆえにあなたがたに対して行います。わたしを遣わされた方を知らないからです。
➉【新改訳2017】ヨハネの福音書16章5節
しかし今、わたしは、わたしを遣わされた方のもとに行こうとしています。けれども、あなたがたのうちだれも、『どこに行くのですか』と尋ねません。

(5) 御父は御子とともにおられる

①【新改訳2017】ヨハネの福音書8章29節
わたしを遣わした方は、わたしとともにおられます。わたしを一人残されることはありません。わたしは、その方が喜ばれることをいつも行うからです。
②【新改訳2017】ヨハネの福音書16章32節
見なさい。その時が来ます。いや、すでに来ています。あなたがたはそれぞれ散らされて自分のところに帰り、わたしを一人残します。しかし、父がわたしとともにおられるので、わたしは一人ではありません。

●御父は御子を遣わすだけでなく、御子とともに来られ、御子とともにおられます。これは御父と御子が分離できないことを意味しています。御子がおられるところに、御父もおられ、御子が語られる時には、御父も御子の中で語られるのです。御子は御父の中におられ、御父は御子の中におられるのです。
③【新改訳2017】ヨハネの福音書10章30節
わたしと父とは一つです。
④【新改訳2017】ヨハネの福音書14章10~11節
10 わたしが父のうちにいて、父がわたしのうちにおられることを、信じていないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざを行っておられるのです。
11 わたしが父のうちにいて、父がわたしのうちにおられると、わたしが言うのを信じなさい。信じられないのなら、わざのゆえに信じなさい。
⑤【新改訳2017】ヨハネの福音書14章23節
イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます
⑥【新改訳2017】Ⅰヨハネの手紙3章24節
神の命令を守る者は神のうちにとどまり、神もまた、その人のうちにとどまります。神が私たちのうちにとどまっておられることは、神が私たちに与えてくださった御霊によって分かります。
⑦【新改訳2017】Ⅰヨハネの手紙4章13節
神が私たちに御霊を与えてくださったことによって、私たちが神のうちにとどまり、神も私たちのうちにとどまっておられることが分かります。

●御父が御子の中に住んで働いておられるのです。つまり御子は御父の完全な現れなのです。また、私たちが神のうちにとどまり、神も私たちのうちにとどまっておられること(=相互内在)が分かるのは、神が私たちに与えてくださった御霊によってです。つまり、私たちは私たちの中に住まわれる三一の神を持っているのです。


2. 御父の表現者であり、実現者としての「御子」

(1) 神(御父)を説き明かされる御子

【新改訳2017】ヨハネの福音書1章18節
いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。

●御父はいのちの源泉であり、御子はその表現です。御父は計画者であり、御子は実現者です。

(2) 御子は御父の名によって来られた

【新改訳2017】ヨハネの福音書5章43節
わたしは、わたしの父の名によって来たのに、あなたがたはわたしを受け入れません。・・・

●御子は「御父の名によって来た」とあります。これは御子が御父として来られたことを意味しています。イザヤ書9章6節に、「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる」と預言されているだけでなく、「わたしと父とは一つ」(ヨハネ10:30)なのです。これは、御父が御子の中におられ、御子も御父の中におられることを意味し、「相互内在」と言います。ちなみに、御父と御子がともに存在していることを「同時同存」と言います。それゆえに「御父と御子は二・一」と言えます。この交わりこそが「永遠のいのち」なのです。この交わりの中に私たちが招かれているのです。

(3) 御子は父の栄光を求め、それを私たちに与えられた

①【新改訳2017】ヨハネの福音書7章18節
自分から語る人は自分の栄誉を求めます。しかし、自分を遣わされた方の栄誉を求める人は真実で、その人には不正がありません。
②【新改訳2017】ヨハネの福音書17章22節
またわたしは、あなたが下さった栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです

●御子はご自分の栄光を求めず、御父の栄光を求められます。御子にあるものはすべて御父のものだからです。みこころも、働きも、ことばも、栄光においても、です。特に「あなた(御父)が下さった栄光」とは「いのちの源」である愛の交わりに他なりません。

(4) 御子は私たちの間に住まわれた

【新改訳2017】ヨハネの福音書1章14節
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた(=幕屋を張られた)。私たちはこの方の栄光を見た。・・・

●御父の表現者としての御子は「ことば」として人性をもたれました。そして、死と復活を通して「いのちを与える霊」となられることによって「私たちの間に(ど真ん中に=霊の中に)住まわれ」ました。すなわち「幕屋を張られた」のです。このことのためには、御霊の関与が不可欠となります。御霊は、神が人の中に入っていのちを適用する方です。


3. 私たちの中に入って適用される「御霊」

●御父が計画される方だとすれば、御子はそれを実現達成される方です。そして、それを私たちの中に適用される方が御霊です。

(1) 内住される御霊

【新改訳2017】ヨハネの福音書14章17~20節
17 この方は真理の御霊です。世はこの方を見ることも知ることもないので、受け入れることができません。あなたがたは、この方を知っています。この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられるようになるのです。
※「あなたがたとともにおられ」の原文は、「あなたがたのそばに(παρά)とどまる(μενω)ようになる(未来形)」
18 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。あなたがたのところに戻って来ます。
19 あと少しで、世はもうわたしを見なくなります(イェシュアが死んで復活すると、弟子以外は見ることができないことを意味します)。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生き、あなたがたも生きることになる(未来形)からです。
20 その日には、わたしが父のうちに、あなたがたがわたしのうちに、そしてわたしがあなたがたのうちにいることが、あなたがたに分かります(未来形)。

●この箇所は御霊の内住だけでなく、三一の神が内住することを述べている重要な箇所です。20節の「その日」とは、イェシュアがあなたがたのところに戻って来る日です。その日とは、空中再臨のことではなく、復活して戻って来る日を意味しています。復活の日に、イェシュアが「いのちを与える霊」となって人の中に入って来るので、「わたしが父のうちに、あなたがたがわたしのうちに、そしてわたしがあなたがたのうちにいることが、あなたがたに分か」るようになると言っているのです。

(2) 内からあふれ流れる御霊

①【新改訳2017】ヨハネの福音書4章14節
しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉(単数/マーコール:מָקוֹר)となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」
②【新改訳2017】ヨハネの福音書7章38節
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川(複数/ナハレー:נַחֲרֵי)が流れ出るようになります。」

●イェシュアが与える水を飲む者はだれでも「その人の内に一つの泉となって、永遠のいのちの水が湧き出る」とありますが、7章では「人の心の奥底から、生ける水の数々の川が流れ出るようになる」とあります。水の源泉と、そこから数々の川が流れ出るようになる、これが復活された「いのちを与える霊」、つまり「聖霊」です。


ベアハリート

三一の神ということばは聖書にありませんが、聖書が啓示する神は、明らかに三一の神です。神は「御父と御子と御霊」の三つの位格(ペルソナ)において存在し、その実体において唯一の神です。この三一を合理的に説明することはできません。説明できなくても、そのままを受け入れることが重要です。「父と子と霊」の神は、永遠なる愛の交わりの神秘の中に存在しています。この神の交わりこそ「永遠のいのち」です。神によって造られた人間は、実に、この神との交わりを共有するものとして造られ、招かれているのです。最後に、まとめとして「御父と御子の相互内在」と「御父と御霊、御子と御霊の相互内在」について記します。

(1) 御父と御子の相互内在・・・御子は御父のうちに、御父は御子のうちにある

「子は・・自分から何も行うことはできません。」(5:19、8:28)、
「わたしが・・来たのは、自分の思いを行うためではなく・・」(6:38)、
「わたしの教えは、わたしのものではなく・・」(7:16、14:24)、
「わたしがあなたがたに言うことばは、自分から話しているのではありません」(14:10)

●ヨハネ17章のイェシュアのとりなしの祈りの中にも、「わたしたちと同じように」ということばと「あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように」「わたしたちが一つであるように」という表現が見られます(11節、21節、22節)。これらはみな本質的に同義です。御父と御子の関係は「わたしたち」であり、そのあり方は「わたしたちが一つである」ということであり、そしてその一つということは「あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいる」という関係です。これらは愛によるいのちの交わりであり、相手に深くかかわることを意味します。そしてそのような関係は決して一方的なものではなく、相互的なものです。このように御父と御子は互いに愛の交わりの中におられるのです。しかもこのことをこの世において可能ならしめるのが、御霊(聖霊)なのです。

(2) 御父と御霊、御子と御霊の相互内在・・・御霊は御父と御子のうちにある

●バプテスマのヨハネはイェシュアが洗礼を受けられたときに、以下のように証言しました。

【新改訳2017】ヨハネの福音書1章32節
御霊が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを私は見ました。

●「御霊がイェシュアの上にとどまる」とは、「イェシュアと御霊が相互内在された」ことを意味します。イェシュアの地上の働きは御霊の助けなしにはあり得ません。イェシュアが神のことばを話されたのは、神(御父)が御霊を(御子に)、限りなくお与えになったからです(3:34)。御霊は御子の栄光と御父の栄光を現すだけでなく、御子を信じる者をすべての真理に導いてくれます。

【新改訳2017】ヨハネの福音書16章13~15節
13 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。御霊は自分から語るのではなく、聞いたことをすべて語り、これから起こること(=終わりにおける神のご計画)をあなたがたに伝えてくださいます。
14 御霊はわたしの栄光を現されます。わたしのものを受けて、あなたがたに伝えてくださるのです。
15 父が持っておられるものはすべて、わたしのものです。ですからわたしは、御霊がわたしのものを受けて、あなたがたに伝えると言ったのです。

●子は父のすべてを享受されています。御霊は、子が父から享受されたものを私たちに適用してくれます。

(3) 父、子、聖霊の御名によって

●マタイの福音書28章19節は、「父、子、聖霊の御名において」洗礼を授けるようにとイェシュアは命じています。「父、子、聖霊において」の意味を正しく理解するためには、「~において」ということばに注意する必要があります。ギリシア語原文は「~の中へと」(エイス:εἰς)という前置詞が用いられています。正確には「父、子、聖霊の御名の中へと」です。それは「三一の御名の覆いの中に入り、その方と一つになり、その方のものとなる」ことを意味します。それが「三一の神の交わりの中に入っていく」ことであり、「永遠のいのちを得る」ことです。洗礼を受けるとは、三一の聖なる神の永遠の愛の交わりの中に生かされるという新しい歩みが始まることなのです。「父、子、聖霊の御名の中へと」入り、「キリストにある新創造(New Creature)として生きる」ことです。


三一の神の霊が、私たちの霊とともにおられます。

2025.2.16
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