3章1節(2)
創世記 3章1節(2)
【新改訳2017】創世記3章1節後半
蛇は女に言った。「園の木のどれからも食べてはならないと、
神は本当に言われたのですか。」
【聖書協会共同訳】創世記3章1節後半
蛇は女に言った。「神は本当に、
園のどの木からも取って食べてはいけないと言ったのか。」
וַיֹּאמֶר אֶל־הָאִשָּׁה
אַף כִּי־אָמַר אֱלֹהִים לֹא תֹאכְלוּ מִכֹּל עֵץ הַגָּן׃
後半直訳「本当に神がその園のすべての木から食べてはならないと言ったのですか。」
1. 蛇は女に語りかけた
●なぜ、蛇は夫のアダムではなく、女に語りかけたのでしょうか。ここに蛇の賢さ(狡猾さ、したたかさ)があります。使徒パウロが言っているように、女には「弱さ」があります。その「弱さ」とは、女は男から造られたという権威における弱さです。男はかしらであり、女はそのかしらに従順であるように造られているのです。パウロは夫婦の一体の奥義が「キリストと教会」の関係にあるとしています(エペソ5:31~32)。その一体のかかわりには、かしらであるキリストは教会を愛し、教会はかしらであるキリストに従うという関係に示されています。女がアダムから造られたことの中に、この関係が啓示されています。
●夫と妻の関係は、ふどうの木とその枝の関係にもたとえられています。イェシュアは自分がぶどうの木だと言われました。
【新改訳2017】ヨハネの福音書15章5節
わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。
●もし女が夫の後ろに隠れ、夫に対処してもらえばよかったのですが、そのことを彼女はまだ学んでいなかったのです。蛇であるサタンが「女」に話しかけたことは、女のこの「弱さ」を突いたといえます。実は、この「女」は「私たち自身」なのです。というのは、この「女」は、神と人との関係では「人」の立場、夫婦の関係では「妻」の立場、親子の関係では「子」の立場、主従関係では「奴隷」の立場なのです。つまり、「女」は権威という覆いを必要しているのです。その覆いをないがしろにするとき、「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです」とイェシュアが言われるように、無力となるのです。
2. 蛇の巧妙な質問
●サタンである蛇が真っ先に質問したことは、「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」という、神が言われた内容の真逆な質問でした。あまりに違ったことを言っているサタンのことばに対して「正したい」と思わせる内容でした。これが会話に持ち込むサタンの戦略です。それは女が質問に答えるように仕向けることでした。その会話はわずかですが、その会話の目的は最初から明確でした。その目的とは、神が「それから(「ミンメヌー」=善悪の知識の木から)食べるなら、あなたは必ず死ぬ」と言われた木を食べさせることにあったのです。
●神の言われたことを直接聞いたのはアダムでした。女はまだ造られていませんでした。妻が造られた後に、彼がそのことをどのように伝えていたのでしょうか。神のことばを正確に告げていたのか、いなかったのか。アダムは正確に告げていたにもかかわらず、それを正確に妻が聞き取っていたのか、聞き取っていなかったのか、そのことは何も記されてはいません。しかし少なくとも、女の立場は夫の言われたことに「耳を傾ける」ことが求められていることには変わりありません。これは後のイスラエルにおいても、また教会においても変わりません。イスラエルも教会も、神の言われたことに聞き従う(「シャーマ」שָׁמַע)ことが求められています。
2020.6.15
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