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3章14節


創世記 3章 14節

【新改訳2017】創世記3章14節

神である【主】は蛇に言われた。「おまえは、このようなことをしたので、どんな家畜よりも、どんな野の生き物よりものろわれる。おまえは腹這いで動き回り、一生、ちりを食べることになる。

【聖書協会共同訳】創世記3章14節

神である主は、蛇に向かって言われた。「このようなことをしたお前はあらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で最も呪われる。お前は這いずり回り、生涯にわたって塵を食べることになる。

יד וַיֹּאמֶר יְהֹוָה אֱלֹהִים ׀ אֶל־הַנָּחָשׁ כִּי עָשִׂיתָ
זֹּאת אָרוּר אַתָּה מִכָּל־הַבְּהֵמָה וּמִכֹּל חַיַּת הַשָּׂדֶה
עַל־גְּחֹנְךָ תֵלֵךְ וְעָפָר תֹּאכַל כָּל־יְמֵי חַיֶּיךָ׃

ベレーシート

●14~15節は、神である主が蛇に対して語ったことばの内容が「キー」(כִּי)以降に記されています。14節はその前半の部分で、蛇に対するのろいの宣言ですが、それは罪を犯した人間に対する神の恵みの消極面と言えます。14節から四つの項目を取り上げます。

(1)「このようなことをした」とは
(2)「おまえは呪われる」とは
(3)「腹這いで動き回る」とは
(4)「ちりを食べる」とは
どういうことかを取り上げます。

●「蛇」に対して、協会訳共同訳では「あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で最も呪われる」と訳しています。これは3章1節の「あらゆる野の獣の中で、最も賢いのは」に対応するフレーズです。ここで「~で最も(呪われる)」と訳されているのは「ミッコル」(מִכָּל)で、前置詞「ミン」(מִן)の省略形と「すべて」を意味する「コル」(כָּל)の合成語です。「ミッコル」は「~で最も」「~離されて」「~で特別に」呪われることを意味します。「呪われる」とは、救い難い修復不可能な事態を招いたことを意味します。

1. 「このようなことをした」とは

●神が「蛇」(「ナーハーシュ」נָחָשׁ)に対して「おまえはこのようなことをした」(「アースィーター・ゾート」עָשִׂיתָ זֹאת)と言っています。「ゾート」(זֹאת)指示代名詞「ゼ」(זֶה)の女性・単数形です。抽象的な概念、あるいはある事柄を代表させています。ここでは、単に「人の妻を惑わした(だました、欺いた)」ことだけでなく、それによってもたらした結果をも含んでいると思われます。

●神は女に対しては「なんということをしたのか」と問うていますが、蛇に対して「なぜ、おまえはこんなことをしたのか」と問うていません。神は蛇に対して「おまえは、このようなことをしたので」と一方的に断定してのろっています。これは私たちが「なぜこの世界には罪があるのか」という疑問や好奇心をもたせないためです。

2. 「のろわれる」とは

●蛇が「このようなことをした」ことに対して、「おまえは~の中で最ものろわれる」ものとなったことが宣言されます。ここで「のろわれる」と訳された「アルール」(אָרוּר)は「のろう」を意味する動詞「アーラル」(אָרַר)の分詞形です。

●神が「のろう」(אָרַר)とは、神のさばきを表わすことばであり、神から排斥され、追放されるだけでなく、最終的には、神によって滅ぼされる定めにあることを意味します。滅ぼされるとは決して無の存在になって消滅してしまうことではありません。聖書のいう「滅び」とは、永遠の苦しみに投げ込まれることを意味します。

●のろわれた「蛇」は以下のように様々な表現を持っています。

【新改訳2017】イザヤ書 27章1節
その日、【主】は、鋭い大きな強い剣で、逃げ惑う蛇レビヤタンを、曲がりくねる蛇レビヤタンを罰し、海にいるを殺される。

【新改訳2017】ヨハネの黙示録黙12章9節
こうして、その大きな竜、すなわち、古い蛇悪魔とかサタンとか呼ばれる者、全世界を惑わす者が地に投げ落とされた。また、彼の使いたちも彼とともに投げ落とされた。

●このように、様々な異名を持ちながら、「惑わす者(単数)」は、地にいる人々を誘惑してその働きをするものであり、創世記から黙示録20章まで、常に働いているのです。黙示録21~22章では、彼らの働きは消え失せ、「もはや、のろわれるものは何もない」(黙示録22:3)とあります。

●神ののろいは常に「惑わす者」であるサタンによるものですが、どのような形でそれが現れて来るかと言えば、以下の聖句がそれを記しています。

①【新改訳2017】創世記 8章21節
・・・「わたしは、決して再び人のゆえに、大地にのろい(קְלָלָה)をもたらしはしない。人の心が思い図ることは、幼いときから悪であるからだ。わたしは、再び、わたしがしたように、生き物すべてを打ち滅ぼすことは決してしない。

※ここはノアの洪水後に語られた神のことばですが、ここでの「のろい」は、人間の心が思い図ることが、幼いときから悪であることによってもたらされたものであることが分かります。

②【新改訳2017】創世記 12章3節
「わたしは、あなたを祝福する者(複数)を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」

※ここには漢字で表記された「呪う」と、ひらがなで表記された「のろう」があります。これは原語が異なっていることを示しています。新改訳の場合は区別していますが、新共同訳の場合はいずれも「呪う」と表記しています。ちなみに、「呪う」は「カーラル」(קָלַל)、「のろう」は「アーラル」(אָרַר)が使われています。

※「カーラル」(קָלַל)は本来「軽い」という意味ですが、強意形では「呪う」と訳されます。

●いずれにしても。「のろい」の理由は、神が選んだアブラハムに対して「彼を呪う者(複数=軽んじる者たち)を神はのろう」からです。このことはヤコブ(イスラエル)に対しても同じことが記されています(創27:29)。アブラハムの子孫に対してどのような態度を取るかは、すべての人にとって重要です。地上のすべての民族はアブラハムとその子孫によって祝福されるからです。


3. 「腹這いで動き回る」と「ちりを食べる」とは

●「腹這いで動き回る」と「ちりを食べる」とは、この箇所にしかないフレーズです。この二つのフレーズは神ののろいを言い換えたものです(同義的パラレリズム)。

(1) おまえは「腹這いで動き回る」とは


●まず、「腹這いで動き回る」の原文直訳は「お前は腹で歩く」です。これを七十人訳聖書原文では「お前は胸と腹で進む」と訳しました。これでは意味が伝わってきません。蛇の「腹」のヘブル語は「ゲホーン」(גְּחֹן)です。語源的には「あふれ出る」を意味する「グーアッハ」(גּוּחַ)ですが、創世記2章13節にエデンの園から流れ出る川のひとつ(第二の川)に「ギホン」(「ギーホーン」גִּיחוֹן)があります。そのギホンは「クシュの全土を巡って流れていた」とあります。その「クシュ」について、次のような記述があります。

【新改訳2017】創世記10章6~12節
6 ハムの子らはクシュ、ミツライム、プテ、カナン。
7 クシュの子らはセバ、ハビラ、サブタ、ラアマ、サブテカ。ラアマの子らはシェバ、デダン。
8 クシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の勇士となった。
9 彼は【主】の前に力ある狩人であった。それゆえ、「【主】の前に力ある狩人ニムロデのように」と言われるようになった。
10 彼の王国の始まりは、バベル、ウルク、アッカド、カルネで、シンアルの地にあった。

●ノアから三人の息子(セム、ハム、ヤペテ)が生まれます。特に、ハムの子らは「クシュ、ミツライム、プテ、カナン」です。彼らは神に敵対する子孫です。「クシュ」から地上で最初の勇士が輩出します。彼の王国の始まりはイスラエルの打ち倒す「バベル(バビロン)」の地にありました。つまり、ニムロデ(נִמְרֹד)の名前は「(神に)逆らう、反逆する」を意味する「マーラド」(מָרַד)から派生しています。ニムロデは、やがて「終わりの日」(大患難時代において)、神の民イスラエルを打ち滅ぼそうとする「獣と呼ばれる反キリスト」の型と言えます。

●神が蛇に対して「おまえは腹這いで動き回る」とは、神の敵として動き回る存在となることを表わしていると考えられます。


(2) おまえは「ちりを食べる」とは

●「ちりをたべる」とはどういうことでしょうか。神の「のろい」のことばであることには確かです。「ちり」と訳された「あーファール」(עָפָר)は、すでに創世記2章7節で出てきています。「神である主はちりで人を形造り」とあります。つまり、人間のからだを造るときの物質的材料です。「ちり」は地に属するものです。

●蛇であるサタンに許されている領域は、地に属するもの、この世だけです。

【新改訳2017】マタイの福音書4章8節
8 悪魔はまた、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての王国とその栄華を見せて
9 こう言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これをすべてあなたにあげよう。」

●サタンの領域は「この世」です。それは「ちり」を意味します。この世はちりそのものです。この世は滅び去るのですから、サタンもやがては滅び去る運命にあるのです。それが神ののろいなのです。ちなみに「食べる」ということは、食べるものと一体となることを意味します。ですから。、もし、私たちが世にあるものを愛するなら、容易にあるサタンに食い尽くされます。

【新改訳2017】Ⅰペテロの手紙5章8節
・・・・あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。

【新改訳2017】Ⅰヨハネの手紙2章15~17節
15 あなたは世も世にあるものも、愛してはいけません。もしだれかが世を愛しているなら、その人のうちに御父の愛はありません。
16 すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢は、御父から出るものではなく、世から出るものだからです。
17 世と、世の欲は過ぎ去ります。しかし、神のみこころを行う者は永遠に生き続けます。

【新改訳2017】ピリピ人への手紙 3章18~19節
18 というのは、私はたびたびあなたがたに言ってきたし、今も涙ながらに言うのですが、多くの人がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。
19その人たちの最後は滅びです。彼らは欲望を神とし、恥ずべきものを栄光として、地上のことだけを考える者たちです。

●特に、ピリピ書3章19節にある「彼らは欲望を神とし・・地上のことだけを考える」とあります。ここにある「欲望」と訳されたギリシア語は「コイリア」(κοιλία)という語彙で、実は、創世記3章14節にある「腹這い」の「」を意味する語彙と同じなのです(LXX訳)。「腹這いで動き回る」蛇は、多くの人をキリストの十字架の敵として歩ませ、自分の欲に従って歩むようにさせます。しかし、メシア王国においては、「ちりを食べ物とする」蛇は、神の呪いの中に閉じ込められるのです(イザヤ65:25)。それは「恥辱」の象徴です。

●「おまえは、一生」、あるいは「おまえは・・生涯にわたって」と訳されている「コル・イェメー・ハッイェハー(כָּל־יְמֵי חַיֶּיךָ)は、「子々孫々」「永久に」という意味です。

2020.7.10
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