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3. 列王記概説 第二部「二つの王国の同時的歴史」A(1列王12~2列王17章)

歴史書(1)の目次

3. 列王記概説 第二部〔二つの王国の同時的歴史〕A・Ⅰ列12章~Ⅱ列17章

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1. 分裂王国における初期の王たち (Ⅰ列12章~22章)

  • ソロモンの統治の終わりは、イスラエルの歴史における頂点であった。礼拝、政治、教育のすべてにおいて最高水準に達した。神の目的はイスラエルを通して目に見える形をとって展開されるかに見えた。

(1) 神の怒りによる分裂の預言(11章)

①〔ソロモンによる異教礼拝の罪のさばきとしての分裂の預言〕(11章9~13節) 
ここではまだ国の滅亡について預言されていない。

②〔神による敵対勢力の台頭〕(11章14~26節) 
a. 南方・・エドム人のハダテ  
b. 北方・・ダマスコのレゾン  
c. 内部・・ヤロブアム

③〔預言者アヒヤによるヤロブアムに対する預言〕(11章31~39節)ソロモンの手から王国を引き裂いて、アロブアムに10部族を与えるという預言。ソロモンはヤロブアムを殺そうとするが、彼はエジプトに逃れた。ソロモンが死ぬまで。

(2) 王国が分裂に至るまでの経過(12章)

①〔ソロモンの死後、シェケムでのレハブアムの王位継承即位式〕
この場所が選ばれた政治的意図
a. 北方の諸族の宗教的政治的中心地であった。
b. 北方・北方の10部族の忠誠を受けるため 

②〔レハブアムの事情をわきまえない判断がもたらした分裂の糸口〕
a. レハブアムの行政のために選んだ長老の知恵ある熟練者の意見を退け、若者たちの意見に従った。
長老たちの意見・・・「統一と平和の維持のためら民に仕えよ」
若者たちの意見・・・「圧迫政策によって、権力を誇示せよ」
b. 「主がそうしむけられた」(12章15節)という表現の中に、王国分裂が神の審判として理解すべてきことが示されている。11章29~31節の預言の成就。
c. 北方の10部族はヤロブアムをエジプトから呼び寄せ、レハブアムに対し「過酷な労働と重税の軽減」を求めたが拒否されたため、分裂・独立が宣言された(16節)。役務長官アドラムの殺害。
d. 北イスラエルと南ユダの対立はこうして始まり、この対立は民族意識となって新約時代までも長く尾を引くことになる。

(3) ヤロブアムの罪(12章)

①〔ヤロブアムがソロモンに反逆するようになった理由〕(11章26~40節)
a. 本来、ソロモンの家来で手腕家であった。その仕事ぶりはソロモンに高く評価され、管理者として抜擢され、ヨセフの家(マナセとエフライムの部族)を任せられていた。
b. しかし預言者アヒヤを通して北の10部族の王となるべく預言を受ける。そのためソロモンはヤロブアムを殺そうとし、彼はエジプトに逃れた。
c. ソロモンの死後、レハプアムがその後継者として即位したことが知らされ、北方の指導者たちは彼を呼び寄せた。そして彼は強制労働と重税の軽減を求めて抗議する。しかしこの抗議が拒絶されたことにより、反逆を決意、分裂を招いた。その時に<ヤロブアムの罪の道>脚注1 が導入された。その罪の道とは宗教的反逆のことである。

②〔宗教的反逆とは〕
エルサレムの神殿と対抗するために宗教的なことが確立されなければ、やがて人々の心は移り、北イスラエル王国の政治的統一の権威は減衰していくことをヤロブアムは知っていた。そこで彼が取った具体策は・・・

a. <偶像礼拝の導入>・・金の子牛の偶像を造り、それを礼拝の対象とした。エルサレム神殿の契約の箱に代わるものとして考えられた金の子牛は、カナン宗教と巧みに融合し、性的乱交を許すどころか、それを奨励するタイプの宗教として次第に民衆に根付いて行った。金の子牛の一つはダンに、もう一つはベテル(北イスラエルにおいて南の端)に安置され、礼拝所が設けられた。このことは預言者アヒヤから「これまでのだれよりも悪いことをした」として糾弾される(14章9節)。「これまでの」とは、王としてこれほど大規模で組織的、国家的な偶像礼拝制度はなかったという意味である。
b. <祭司規定の違反>・・礼拝に仕える祭司はレビの子孫出なければならなかったが、ヤロブアムが一般の者たちの中から任命した。その背景には、真の祭司やレビ人は、彼らの名誉にかけて、ヤロブアムの不法な政策に参加するよりは、生計の道を失ってもエルサレムに行くことを選んだからである。Ⅱ歴代誌11章13~14節参照。
c. <祭りの創設>・・宗教的行事を、期日を変えるなどして巧みに取り入れられた。


  • このように、宗教が政治的に利用され、権力維持の道具として利用される。この精神こそ、まさしく偶像礼拝の心理である。支配者はおおむね、自分の権力を絶対化したがるものである。自分が獲得した権力を維持するために、あらゆる方策を考え、強行しようとする。例えば、徳川幕府の鎖国政策は建前は西洋の侵略を防止するためとしたが、真相は徳川家の権力の確立と保持のためであり、キリスト教禁教政策も、この宗教が幕府権力の絶対化を根底からおびやかすものと考えたことに他ならない。
  • イスラエルにおいても、王家の権力を絶対化しようとする動きはしばしばあった。王に対する批判は許してはならない。王は何をやってもよいのだという姿勢を最も露骨に示したのは、アハブ王の妃イゼベルであった。それがⅠ列王記21章の「ナボテのぶどう畑」事件である。アハブが「イスラエル史上最悪の王」とされたのは当然のことである。このような王の姿勢は国の私物化を目指すものであり、「王の国の私物化は亡国を招く」とする預言者の警告を無視するものであった。預言者たちは「王法は絶対ではない、王法の上に立つ神の法があり、王も民もこれに従うなら祝福され、これを無視するならばイスラエルは神にさばかれる」と叫び続けたのである。イスラエルの歴史はまさに預言者たちが正しかったことを証明している。このことは、現代においても変わることのない真理である。

(4) 分裂後の最初の86年に限っての両王国の比較

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a. イスラエルは、同じ時期にユダの2倍の王が統治したことがわかる。
b. イスラエルを統治した8人の王がみな悪い王であったのに対し、ユダを統治した4人の王のうち、最も長く統治した王(86年のうち、66年)が善い王であった。
c. ユダ王国は世襲制、しかしイスラエル王国は預言者による指名と人々の支持や人気によった。したがって政治的にも、宗教的にも安定性に大きな違いを生じた。イスラエルでは19人の王のうち、8人までが暗殺されている。


脚注1

  • 列王記の中に「ヤロブアムの罪の道を歩む」という慣用句がある(13:33/15:30/16:2等)。これは列王記の特徴を表わす鍵語である。罪は南北両王国にあったにもかかわらず、「ヤロブアムの罪の道」は後継者である18人のすべての王によって踏襲され、結果として滅亡へと向かわせた。

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