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3.バビロン捕囚からの帰還と再建

歴史書(2)」の目次

序3. バビロン捕囚からの帰還と再建

バビロンの陥落・・BC 539
クロスはバビロニヤ帝国を倒してペルシヤ帝国を揺ぎない世界帝国にした。クロスは、それまでの覇者のような民族の強制移住による反乱の防止,人材の登用という占領政策を廃して、むしろ捕囚になっていた諸民族を帰国させ、それぞれの宗教を尊重することによって,国の平穏を図る政策を採用した。クロスは、ユダヤ人に対して神殿の再建を許可し、ネブカデネザルによって奪われていた神殿の宝物も返還するよう命じた。さらには、神殿再建に対して経済的な援助も約束したのである。

第一次帰還・・・・BC 538
BC 538年のクロスの勅令により、最初の帰還の指導者として、ユダ王家の末裔であるシェシュバツァル(ゼルバベル)が任命され、第一回目の帰還がなされた。この時に帰還したのは4万2千人ほどであった。さっそく神殿再建工事が着手された。ところがさまざまな妨害にあって、基礎工事で頓挫、以後18年間、再建工事は中止された。妨害したのは、捕囚期にこの地に住みついて既得権を主張する雑種民であった。このあたりの関係は、現代のイスラエルとパレスチナの問題にそっくりである。

神殿工事再開・・・BC 520
神は預言者ハガイ、ゼカリヤを遣わし、総督ゼルバベルと大祭司ヨシュア、ならびに民たちの心を奮い立たせた(ハガイ1:14)。その結果、工事が再開された

神殿完成
BC 515、5年の歳月をかけて神殿が完成する。これが第二神殿である。

ユダヤ人存亡の危機・・BC 479
第一次エルサレムの帰還者はごく一部であり、大部分はペルシャにそのまま残留した。彼らは外国での生活に慣れ、生活も安定し、いまさら故国に帰りたいと願わなかった。

ベルシャの王アハシェエロスの治世にエステルが王妃となる。王の寵臣ハマンはユダヤ人虐殺計画を謀るが、エステルはハマンの計画を未遂に終わらせることに成功する。ユダヤ人のいのちと財産は守られたのである。

第二次帰還・・・・BC 458
ペルシャ王アルタシャスタの支援により、祭司であり律法学者であるエズラの率いる小規模集団がエルサレムに帰還する。脚注
エズラにより礼拝復興に向けた神の民再建の教育が始まる。

エルサレム城壁再建・・BC 445
アルタシャスタ王の献酌官であったネヘミヤは、王の支援によりエルサレムに帰還し、崩れたままの城壁を再建する。その工事は周到な準備によって52日間で完成した。ネヘミヤは445年~433年までの12年間、エルサレムの総督としてその任に当たった。

歴代誌の執筆・・BC 440
確定的ではないが、エズラあるいはその関係者により歴代誌が書かれた可能性は大きい。その執筆意図は、もう一度歴史を新たに見直し、神の民イスラエルに与えられた神の使命を確認し、ダビデ、ソロモンの偉業を思い起こさせて、礼拝の民としてのアイデンティテイを再認識させる必要があった。


脚注
ただし、エズラとネヘミヤの2人がエルサレムに帰還した時代に関しては異説がある。この時代は暗黒時代であり、資料も欠如している時代である。伝統的な解釈、聖書に記されている順序によれば、エズラがエルサレムに来たのはアルタクセルクセス1世の第7年(前458年,エズ7:7)で、ネヘミヤは同じ王の20年にエルサレムに到着した(前445年,ネヘ2:1).ところが別の説では,ネヘミヤの帰還は上記と同じであるが、エズラはアルタクセルクセス2世の第7年(前398年)に帰国したと言う。更に別の見解では、本文を読み換えて、エズラの帰還はネヘミヤの帰還と同じ王アルタクセルクセス1世の時代であるが、第7年ではなく、第27年あるいは第37年であったとする。これらの見解ではネヘミヤが先にエルサレムに到着し,しばらく経ってからエズラがやって来たとする。1960年代まで有力であったネヘミヤ→エズラという見解も、最近ではむしろ伝統的なエズラ→ネヘミヤの順序を支持する立場が強まっている(U・ケラーマン)。しかし大切なことは、彼らが何をしようとしたか、である。


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