****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

3.詩篇18篇の神への信頼

文字サイズ:

詩篇は、神と私たちの生きた関係を築く上での最高のテキストです。

3. 詩篇18篇の神への信頼(7~15節)

ベレーシート

  • 詩篇18篇4~6節では、「死の綱」「滅びの川」「よみの綱」「死のわな」に取り囲まれた状況の中で、主の助けを求めたその叫びは、主の御耳に届いたのです。その結果、主がどのようにその叫びに対処されたのかが7~15節に記されているのです。特に、9節の「主は、天を押し曲げて降りて来られた。」ということがどういうことかを、自然界のさまざまな表象によって表そうとしています。地震や噴火、噴煙、風、密雲、雹、雷鳴、稲妻などが比喩として用いられています。その中でも神の敵に対する顕現のしるしである「雷鳴を響かせる」「雷鳴を轟かせる」という表現を取り上げてみたいと思います。

【新改訳改訂第3版】詩篇18篇7~15節
7 すると、地はゆるぎ、動いた。また、山々の基も震え、揺れた。主がお怒りになったのだ。
8 煙は鼻から立ち上り、その口から出る火はむさぼり食い、炭火は主から燃え上がった。
9 主は、天を押し曲げて降りて来られた。暗やみをその足の下にして。
10 主は、ケルブに乗って飛び、風の翼に乗って飛びかけられた。
11 主はやみを隠れ家として、回りに置かれた。その仮庵は雨雲の暗やみ、濃い雲。
12 御前の輝きから、密雲を突き抜けて来たもの。それは雹と火の炭。
13 【主】は天に雷鳴を響かせ、いと高き方は御声を発せられた。雹、そして、火の炭。
14 主は、矢を放って彼らを散らし、すさまじいいなずまで彼らをかき乱された。
15 こうして、水の底が現れ、地の基があらわにされた。【主】よ。あなたのとがめ、あなたの鼻の荒いいぶきで。


1. 雷鳴を響かせて(轟かせて)

  • 13節の「雷鳴を響かせ」という表現は、同節後半の「いと高き方は御声を発せられた」と同義で、パラレリズム(同義的並行法)です。「いと高き方は御声を発せられる」という神の怒りの意思を表現する換喩とも言えます。旧約では11回。詩篇では4回使われていますが、18篇13節と29篇3節では「神の威厳と怒り」を表わすものとして使われ、96篇11節と98篇7節では主の勝利による「自然界の喜び」として表わされています。
  • どうにもならない、ただならぬ状況の中で、「主は、天を押し曲げて降りて来られ」(9節)、「雷鳴を響かせて(轟かせて)」敵を散らし、敵をかき乱されたことで、ダビデは救われました。神に信頼することは私たちの頑張りでできることではありません。ダビデは、その人生においてどうすることもできない状況の中で、神が行動を起こしてくださることにより救われた経験を何度も繰り返しています。この経験を多く持つことで、より神への信頼度は深まっているように思います。
  • 敵に対する神の怒りを、天に雷鳴を響かせることとして表現しています。天において雷鳴が響くということは、そこに雲が起こり、風が吹き、稲妻とともに雹や強い雨を地上に降らせます。そして、それによって敵の軍隊は戦えない状態になり、勝利がもたらされるのです。歴史上に下れる神のさばきはすべて、最後に現わされる神の御怒りの前味であると同時に、創世記に記されている「あなたは必ず死ぬ」という警告の成就なのです。

2. 歴史の中で「天に雷鳴を響かせた」出来事

(1) 士師記4~5章

  • 士師記4章では、カナンの王ヤビンと将軍シセラと戦った女預言者デボラと将軍バラクが勝利します。しかしその勝利は主によってもたらされたことをデボラとバラクは歌っています(士師記5章)。具体的には、大雨が降ることで敵の戦車(九百両)の威力は発揮できず、むしろそれが足手まといとなって敗北を帰します。神が立ち上がられる戦いでは、このような自然界を巻き込んだ形で神が敵を散らされることがあるのです。

(2) Ⅰサムエル記7章

  • サムエル記第一7章10節では、サムエルがイスラエルをさばいていた頃、ペリシテ軍が戦いを仕掛けてきたとき、サムエルは全焼のいけにえをささげて、主に叫びました。すると主はペリシテ人の上に大きな雷鳴をとどろかせ、彼らをかき乱したので彼らはイスラエル人に打ち負かされました。そしてサムエルは一つの石を取り「ここまで主が私たちを助けてくださった」という意味で、「エベン・エゼル」(אֶבֶן עֵזֶר)、つまり、「助けの石」と名づけて神の救いの出来事を記念しました。ちなみに、石を意味する「エベン」(単数)は、メシアであるイェシュアを示唆する語彙でもあるのです。
  • 他にも、サムエル記第一2章10節で、サムエルの母ハンナが「主は、はむかう者を打ち砕き、その者に、天から雷鳴を響かせられます」と歌っています。
  • このように「雷鳴が響く」とき、そこには敵が敗北して、神の勝利がもたらされるという意味があるのです。新約聖書ではヨハネの黙示録においてのみ、「雷鳴」が出てきます。それは大群衆の神を賛美する声そのものであり、また神のさばきがもたらされる怒りであり、「終わりの日」における神の究極の勝利がもたらされるのです。

2016.11.


a:504 t:1 y:1

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional