****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

3D瞑想法の勧め

14. 3D瞑想法の勧め

はじめに 

3D瞑想法
  • 3Dとはスリー・ディメンションズ(Three dimensions)の略で「三つの次元」を意味します。映像の世界ではこの3Dによって迫力ある映像を楽しむことができる時代になっています。それになぞらえて、聖書のみことばを縦に読み、横に読み、奥行きをもって味わうことを、私は勝手に「3D瞑想法」と名づけています。しかしこれは決して独自な新しい読み方ではなく、すでに試みられている読み方(瞑想法)です。教会の礼拝説教の多くはこの方法で瞑想したものがまとめられて語られています。私自身もそのような読み方、味わい方を目指していることに改めて気づかされています。「3D瞑想法」を自覚的に訓練することで、みことばがより迫力をもって迫ってくると信じます。そしてこの3D瞑想法は、牧師だけでなく、神のみことばを自らの生活の土台として真剣に生きようとする者の標準的なものとして位置づける必要があると信じます。3D瞑想法を地道に訓練することが霊性の回復につながってくると信じます。

1. みことばを縦に読む(味わう)

  • これはすでに確立している読み方です。ある短いみことばをじっくりと味わう方法です。市販されているディボーショナルな本、たとえば、カウマン女史の「荒野の泉」や、スポルジョンの「朝ごとに」などがその例です。短い聖句の一語一語をじっくりと手でさわるようにして思いめぐらす。人それぞれが思い思いにインスピレーションを働かせながら、ある言葉、あるいはテーマ(思想)を自分が持っている知識や現実の日常生活の何かと関連づけながら味わう方法です。これはすでに「レクチオ・ディヴィナ」として確立されている瞑想法と言えます。

2. みことばを横に読む(味わう) 

  • みことばを横に読むとは、そこにあることばやテーマ(思想)を聖書全体(創世記~黙示録)を通り抜けさせて、幅広い視野から味わう方法です。この方法を取り入れるためには聖書全体を知るという不断の積み上げが必要です。聖書全体の視点という次元から読むことで、私たちの自己本位的な理解から守られるという面があります。聖書そのものが私たちに語りかけてくるためには、聖書自身の自己主張を聞き取る必要があります。そのためには聖書全体の理解がどうしても必要なのです。私たちが聖書の歴史を学ばなければならないのは、神が歴史を舞台にしてご自身を啓示されているからです。ただ順番に聖書通読するだけでは歴史は見えてきません。ですから読む工夫が実はいるのです。この次元を取り入れることでみことばは様々な箇所と関連性をもってつながってきます。

3. みことばを奥行きをもって読む(味わう) 

  • 3D瞑想法の醍醐味は、みことばを奥行きをもって味わうところにあります。具体的にはみことばを原語(ヘブル語やギリシア語)で味わうことです。
  • 一見、難しそうに思えますが、自動車免許を取得する程度の覚悟があるなら大丈夫です。この方法を取り入れるなら、みことばの読み方、味わいが格段に異なります。多くの人はその勉強法が教えられていないために難しく感じられるだけです。今や自動車免許は多くの人が取得しています。自由にどこへでも旅することができますが、そのためには最低、道路交通法と仮免・実地テストだけはどうしてもパスする必要があります。これまでの原語の勉強は自動車の仕組みを教えるようなもので、多くの変化を覚えなければなりませんでした。しかし今は自動車の仕組みを詳しく知らなくてもそれを用いて楽しむことができるように便利なツールが数多くあるのです。むしろ私たちの課題はそれらをいかに上手く駆使できるかどうか、その方法を身につけることです。
  • この次元については私は目下修練の身ですが、新たな発見をすることが多いことを経験しています。

まとめ

  • 以上、三つの読み方を相補的に組み合わせることで、みことばはより立体的に、新鮮に、読む私たちに迫ってくると信じます。そして聖書を味わうことがこれまでの数十倍も楽しくなること間違いなしです。みことばに対する新しい見方(視点)が与えられなければ、何も変化することはないのです。

2011.7.11


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