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3D瞑想法の実際(2)ー創世記17章1節

16. 3D瞑想法の実際(2)ー創世記17章1節

はじめに

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  • 創世記のアブラハム、出エジプト記のモーセに共通する神の召命は「行け」(レーフ)ということばです。「レーフ」は「行く、歩く」(ハーラク)の命令形。アブラムは主の「行け」というお告げのとおりに出かけました(12:4)。主の召しによるアブラムの新しい人生がはじまったのです。アブラハムの「ハーラフ」(歩む)は必ずしも順調ではありませんでした。飢饉のときには主の伺いも立てずに勝手にエジプトに行きました。また、自分の思いで神の計画を実現しようとしてイシュマエルを生みました。そんなアブラムに対して、主は「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ」(17:1)と語られました。そして22章では、主がアブラハムにモリヤの山に行き、ひとり子イサクをささげるように命じます。アブラハムは主が命じられたとおりにイサクを連れてその山に向かって行きました。ここにアブラハムの信仰の「ハーラフ」הָלַךְの頂点を見ることができます。

1. 改名の秘密

  • 17章でアブラムとサラは神から改名することを告げられます。「アブラハム」という改名はそれまでの「アブラム」に一字「ハ」が入るだけに過ぎませんが(ヘブル語では「ヘイ」הという一字が入るだけ)、救済史的な視点からすればきわめて重要な一字なのです。サライも実は、「ヨード」י が抜け落ちて、その代わりに「へイ」ה が付きます。名前の改名において、アブラムもサライも「へイ」ה という一文字が付けられたのは何故か。ひとつの仮説(私の説)ですが、それは「ヘイ」が「ハーラフ」הָלַךְ(halakh)の頭文字だということです。

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2.  ハーラフの系譜

  • 16章には信仰の失敗があり、神の13年間の沈黙の後に「あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ」と語られています。しかもここでの「歩み」という要求はヘブル語の強意形ヒットパエル(再帰態)が使われています。これは自ら、主体的に、自覚的に、自発的に歩むことを意味しています。「ハーラフ」という動詞それ自体は旧約においては1549回も使われています。しかし、強意形ヒットパエル態で最初に登場するのが創世記のエデンの園においてです。そこでは「そよ風の吹くころ、彼ら(アダムとエバ)は園を歩き回られる神である主の声を聞いた」(3:8)とあります。神が園を歩き回られる(הָלַךְ)のは、人との交わりを求めておられるからです。単に散歩していたわけではありません。神と人とが交わりを持つ場所こそエデンの園だったからです。
  • 創世記5:22と24ではエノクが「神とともに歩んだ(הָלַךְ)」とあり、6:9ではノアがやはり「神とともに歩んだ(הָלַךְ)」と記されています。聖書には「神は◯◯◯と共に歩んだ」という表現は多くありますが、「神とともに歩んだ」という記述は、エノクとノアにしか使われていない特筆すべき記述なのです。そして今やアブラムに対しても(また妻のサラも共に)そのように歩むべく改名を命じられたのです。ところが、この神の前を歩み、神とのかかわりにおいて完全な信頼をもって歩むということはそう簡単なことではありません。人間がもっている常識の枠を超えることを要求されるからです。

3. 「ハーラフ」は神と人とのすべての歩みを表わす統括用語

walking
  • アブラハムは改名にふさわしい歩みができるように、神の恵みと祝福によって導かれていきます。まさに聖書の意味する「ハーラフ」ָは、単に「歩む、歩き回る」という意味を越えて、神に立ち帰り、神とともに歩み、神の前に歩むという生き方そのものを意味します。それは他の動詞である「交わり」「信頼」「求道」「共生」といった喜びを表わす意味にもなり、ときには、「離別」をも余儀なくされます。いわば、「ハーラフ」は神の前における人間のすべての行為を要約する統括用語なのです。
  • 主にある者は、この時代、今一度「行け(歩め)」(レフ)との神の召しにふさわしく歩んでいるかどうかを再点検する必要に迫られているのではないでしょうか。 

2011.12.9


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