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4.詩篇18篇の神への信頼

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詩篇は、神と私たちの生きた関係を築く上での最高のテキストです。

4. 詩篇18篇の神への信頼(16~19節)

ベレーシート

  • 詩篇18篇16~19節の主体はすべて「主」(יהוה)であり、「私」に対する主の恩寵用語で満ち溢れています。

【新改訳改訂第3版】詩篇18篇16~19節
16 主は、いと高き所から御手を伸べて私を捕らえ、私を大水から引き上げられた。
17 主は私の強い敵と、私を憎む者とから私を救い出された。彼らは私より強かったから。
18 彼らは私のわざわいの日に私に立ち向かった。だが、【主】は私のささえであった。
19 主は私を広い所に連れ出し、私を助け出された。主が私を喜びとされたから。


1. 救出に関する「恩寵用語」

(1)「伸べる」(原文には「御手を」という語彙はありません)は「シャーラハ」(שָׁלַח)。
(2)「捕らえる」は「ラーカハ」(לָקַח)。
(3)「引き上げる」は「マーシャー」(מָשָׁה)のヒフィール形「モーシャー」(מֹשָׁה)。偉大な指導者「モーセ」はこの動詞に由来する名前です。もし、パロの娘が川の水からモーセを入れた籠を引き上げなかったとしたら、モーセは存在しません。水の中からモーセを引き上げたのは主です。主がパロの娘を通して引き上げたのです。
また、詩篇18篇16節の「大水」は敵の勢力を象徴する表現です。
(4)「救い出す」は「ナーツァル」(נָצַל)のヒフィール態。
類語に「ヤーシャ」(יָשַׁע)があります。「ヤーシャ」は捕えられそうな危機からの救出であるのに対し、「ナーツァル」はすでに捕らえられている状況からの救出を意味します。
(5)「連れ出す」は「ヤーツァー」(יָצָא)。
(6)「助け出す」は「ハーラツ」(חָלַץ)で、助け出して自由にするという意味。


2. 信仰告白としての「ささえ」

  • 18節には「主は私のささえであった」という信仰が告白されています。「主は私のささえとなってくださった」とも訳せます。「ささえ」と訳されたヘブル語の「ミシュアーン」(מִשְׁעָן)は旧約で4回(他に、Ⅱサムエル22:19、イザヤ3:1,1)の使用頻度ですが、その語源となる動詞「シャーアン」(שָׁעַן)の使用頻度は22回です。「よりかかる、もたれる、拠り頼む」という意味ですが、木などに「よりかかる」(創世記18:1)という意味もあれば、箴言3章5節のように、「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。」という完全な依拠という意味で使われます。自分に対する敵が強いゆえに、主に拠り頼まざるを得ないのです。
  • 使徒パウロは自分の弱さを誇っています。なぜなら、そこには「私が弱いときにこそ、私は強い」という主の恵みによる逆説があるからです。ここでの「恵み」をヘブル語にすると「ヘセド」です。それは契約における確固とした愛、ゆるがない愛を意味します。

【新改訳改訂第3版】Ⅱコリント12章9~10節
9 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
10 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。


3. 惜しみなく与える愛(「ヘーフェツ」חֵפֶץ)

  • 「主は私のささえであった」とする信仰告白は単なる希望的観測ではなく、自分に対する神の確かな愛という根拠があることを示す表現があります。それは19節の「主が私を喜びとされたから」というフレーズです。「喜び」と訳されたヘブル語は名詞の「ヘーフェツ」(חֵפֶץ)です。
  • 旧約では主の愛を表す用語が以下のように四つあります。

(1)「ヘセド」(חֶסֶד)・・契約関係におけるゆるぎない、確固とした愛。
(2)「アハヴァー」(אַהֲבָה)・・神の一方的な無条件の選びの愛。
(3)「ヘーン」(חֵן)・・相手に対する特別な親切や好意を含んだ愛。
(4)「へーフェツ」(חֵפֶץ)・・特別な喜びの対象、お気に入りとする愛。

画像の説明

2016.11.12


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