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Ps2その他

Ps2その他  ー「きょう、わたしがあなたを生んだ」


【新改訳改訂第3版】詩 2:7
「わたしは【主】の定めについて語ろう。主はわたしに言われた。『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ


引用先
(1) ヘブル人への手紙1章5節【新改訳改訂第3版】
神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。
「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。」またさらに、「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。」

(2) 使徒の働き13章33節【新改訳改訂第3版】
神は、イエスをよみがえらせ、それによって、私たち子孫にその約束を果たされました。詩篇の第二篇に、『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ』と書いてあるとおりです。

  • 詩篇2篇は多くのところで引用されていますが、特に、7節にある「きょう、わたしがあなたを生んだ。」というフレーズの「きょう」をどのように理解すればよいのでしょうか。その理解の視座として、ヘブル的視点が必要です。
  • 「きょう」という言葉は、私たちが考えている「昨日、今日、明日」という意味での「今日」ではありません。ヘブル語では「ハッヨーム」(הַיּוֹם)で「その日」とも訳せます。つまり、神によって「定められた日」、神によって「しるしづけられた日」を意味します。詩篇2篇7節は、御父が御子に語ったことばとして記されていますが、そこにある「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。」の「きょう」とは、時間に支配されないはずの御子が、時間の中に、あるいは歴史の中に突入したという意味において使われていると考えます。
  • 永遠者としての神のなされる特定の出来事が、時との関係で表現される時、それは「ハッヨーム」(הַיּוֹם)、すなわち「その日」、あるいは「きょう」(「今日」ではなく「きょう」)というより他に表現のしようがないのです。神が定められた特定の日としての「きょう」とは、御子の神性と人性が一つとなったことを聖書は「生んだ」と表現しているのです。
  • イエスが十字架の上で、強盗の一人に、「あなたは、きょうわたしとともにパラダイスにいます。」(ルカ23:43)と語ったときの「きょう」も、神の定められた特定の日を意味していると考えられます。その証拠に、強盗の一人がイエスに対して「あなたの御国の位にお着きになる時には、私を思い出してください。」と言っていることに注意する必要があります。
  • この強盗が語ったことば「あなたの御国の位にお着きになる時」とは、イエスをメシアとしての支配を実現するときです。そのことを確信して語っていることばです。彼は自分の犯した罪を認め、それにふさわしい報いを今受けていることを自認しています。そして今、群衆の呪いと嘲りの声が渦巻く中で、死にゆくメシアであるイエスに、「私を思い出して下さい」と願っているのです。彼に対するイエスの答えは迅速、かつ確実でした。「あなたはきょう、わたしといっしょにパラダイスにいます。」と。なんとあざやかな救いの宣言でしょう。そして、ここでの「きょう」も「ハッヨーム」であり、「今日」(today)という意味ではないのです。神の定められた時に実現する、永遠の世界である「パラダイス」(=回復された「エデンの園」)に、「あなたは、わたしと共にいる」ことを約束されたと理解すべきなのです。
  • ルカの福音書2章11節の有名なクリスマスのみことば、「きょうダビデの町(ベツレヘム)で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。」とあります。ここでも「きょう」は、神が定められた「ハッヨーム」(הַיּוֹם)です。そして「お生まれになりました」は、「生んだ」(「ヤーラド」יָלַד)の完了形受動態です。神はご自身の約束に従って、神である御子を時間の中へ、歴史の中へと介入させたのです。御子は人間として最も弱い立場である赤子としてスタートし、その生涯の終りには人間としての恥辱と死を味わわれました。「味わう」という動詞はアオリスト中態(受動態でなく)で、自らの主体的な意志によって「味わった」のです。御子ご自身のためではなく、「私たちのため」です。
  • 主の定めとしての「きょう、わたしはがあなたを生んだ」という「生む」のという主のみわざには、永遠なる神としての御子を時間の流れの中に人として介入させるという面と、もう一つは人間を束縛していた死の力を打ち破って復活させ、人としての御子が神であることを公にあかししたのです。その意味で神が「生んだ」という意味でもあるのです。人であり神であるこの御子こそ、御国の王であるメシアです。

御父は御子にこう告げられます(詩篇2篇8~9節)。

8 ・・わたしは国々をあなたへのゆずりとして与え、地をその果て果てまで、あなたの所有として与える。
9 あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き、焼き物の器のように粉々にする。

  • それゆえ、人称なき存在である聖霊は、次のように呼びかけているのです。

    【新改訳改訂第3版】詩篇2篇10~12節
    10 、王たちよ、悟れ。地のさばきづかさたちよ、慎め。
    11 恐れつつ【主】に仕えよ。おののきつつ喜べ。
    12 御子に口づけせよ。主が怒り、おまえたちが道で滅びないために。怒りは、いまにも燃えようとしている。

  • ここでの「」は、神の定めた日ではなく、常に呼びかけられている「」、つまり、「きょう」である「ハッヨーム」(הַיּוֹם)ではなく、「」である「アッター」(עַתָּה)です。「今」だからこそ、まだ「悟る」のに望みがありますが、やがてはそのチャンスを失ってしまう時が来るのです。主を信頼する者にとってはその時が救いの日、喜びの日となりますが、そうではない者にとってはその時がさばきの日、滅びの日となるのです。それが主の定め(神のマスタープラン)です。

2015.1.15


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