Ps33の「かかわりの構造」
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- 詩篇33篇には、四つの人格が存在します。
- 第一は、人称なき存在で、「正しい者たち」、「世界に住む者たち」、そして「主のすばらしさ」をたたえている存在です。この33篇では1節から19節までがこの存在の独壇場です。
- 第二は、「正しい者たち」で、20節から22節からは、「私たち」という人称で自ら登場します。この「私たち」は、人称なき声の呼びかけに励まされて、「主」に対して、主を待ち望み、主を喜び、信頼する者たちです。
- 第三は、「世界に住む者たち」で、「正しい者たち」に附随して呼びかけられている存在です。
- 第四の存在は、「主」です。この33篇では全く自ら語ることをしていません。人称なき存在が十分に主のすばらしさを語っているからだと思います。
- 第ニと第三の存在は、ひとつのグループにくくられるとすれば、
そこには三つのペルソナが存在し、親密なかかわりをもっています。これらの三つのペルソナ、つまり、「人称なき存在」を「御霊」に、「私たち」が「御子」に、「主」を「御父」に見立てることができます。
- 詩篇33篇の全体がこの三つの存在によって成り立っているとすれば、そのかかわりに目を向け、そのかかわりの中に、「私」も招かれているという見方をします。つまり、「私たち」にとどまる(つながる)のです。これが「キリストにとどまる」というあり方です。そのような視点で、今日という日に、ゆるぎない三位一体なる神との愛の交わりの中に息づき、楽しむ者でありたいと思います。