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Ps38その他

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詩38:20
また、善にかえて悪を報いる者どもは、私が善を追い求めるからといって、
私をなじっています。

  • 詩篇38篇には、詩篇ではじめて使われている動詞が登場します。それはヘブル語の「サータン」(שָׂטַן)です。、「サータン」(שָׂטַן)は、新改訳では「なじる」と訳され、口語訳では「非難する」、新共同訳では「敵対する」、バルバロ訳では「陥れる」、関根訳では「敵とする」、文語訳では「仇となる」、岩波訳「訴える」、フランシスコ会訳&典礼訳では共に「けなす」と訳しています。この動詞が名詞になるとき、「サーターン」(שָׂטָן)となります。意味は、告訴、敵、敵対者、固有名詞では「サタン」となります。
  • 名詞の「サーターン」は旧約聖書で27回使われていますが、特にヨブ記の1~2章で固有名詞「サタン,Satan」として14回登場します。神とサタンが、天上において、ヨブを巡って語り合っています。ヨブ記の他に固有名詞で使われているのは、セガリヤ書の3章1, 2節で3回出てきます。そこでは、サタンによって大祭司ヨシュアが告訴されているその法廷で主がサタンをとがめている光景を見ることができます。
  • 詩篇38篇20節には「私が善を追い求めるからといって、私をなじっています。」とあります、「善を追い求める」、つまり、「善」(トーヴ)を「追い求める」(רָדַף)、換言すれば、神を尋ね求めることを追い求めるとき、そのことを「なじり、避難し、けなす」敵対者が立ちはだかることを作者はここで述べようとしています。
  • 私たちの霊的現実も然りです。「善」、つまり神を尋ね求めることをどこまでもしようとするとき、敵対者である「サタン」は立ち上がり、それを阻止しようと、私たちのかつての罪を取り上げて訴えたり、弱さや力のなさをなじろうとしたりして敵対するのです。そのときに、私たちを弁護してくださるのは、私たちの救い主であるイエス・キリストの他にはおりません。
  • 「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。・・神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。罪に定めようとするのはだれですか。・・よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。」(ローマ8:31, 33, 34)
  • 「もし、だれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の御前で弁護してくださる方(パラクレートス)があります。それは、義なるイエス・キリストです。」(1ヨハネ2:1)

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