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Ps50の「かかわりの構造」

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  • 詩篇50篇には、「神」と「神の民」と「神の審判のために神のもとに集める者」の三者が存在しています。「神の民」の中には、形の上では神にいけにえをささげて(ささげもの中でも最高の「全焼のいけにえ」)いる者と、神を忘れて偶像礼拝に走っている民、「悪者」も含まれています。
  • 神がご自身の民に対して天における法廷を開いてまでも告発し、訴え、要求しているその内容は、前者の場合には「神に感謝のいけにえをささげよ」というものであり、後者の場合には「よくわきまえよ(悟れ)。・・その道を正しくせよ(自分の道を正せ)」という要求です。しかも神は、要求だけでなく、従う者に約束を与えています。その約束とは、前者には「苦難の日に助け出す」という約束であり、後者には「神の救いを見せよう」と約束がなされています。
  • この詩篇にも三位一体的構造を読み取ることができます。
    神とは「御父」です。ここには「感謝のいけにえ」を要求する父権的な厳しさがあります。御父の正当な訴えがなされています。

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  • 次に、「あなた」と「おまえ」の両方の部分は、御父の要求を一身に満たそうとする「御子」の姿と重なり合います。神の民が要求されていることを完全に満たすことのできるのは御子だけです。また、神を忘れている者のさばきと呪いを一身に引き受けられるのも御子だけです。
  • 御父の要求する「感謝のいけにえ」とは、自分の存在がすべて御父の恵みによって支えられていることの告白を意味します。このいけにえは、御父への依存と信頼から来る感謝が求められているのです。なぜなら、そこに神と人とのあるべき正しい関係が存在するからです。人となられた御子はその地上の生涯において、御父に完全に信頼し依存されました。また御霊の助けに拠り頼まれました。そこから与えられる神の知恵と愛と力のゆえに、いつも感謝の祈りをささげておられました。
  • さらに、御父の深いみこころを知り、神の民に呼びかけて法廷に集める存在、すなわち、「御霊」がいます。しかも、「御霊」は「罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせる」存在です(ヨハネ16:8)。神の民に悔い改めに導き、気づきを与えて神との関係を矯正させる方です。
  • 詩篇50篇における神の訴え、あるいは神の要求は決して不当なものではなく、本来、あるべきかかわりの姿なのです。ここで求められている「感謝のささげもの」とは、あれ、これ、それといった個々の出来事に対する感謝ではなく、愛と信頼のかかわりの中に生かされることの「感謝」です。私たちは誰ひとりとして単独で存在することはできません。日本の昔から、ある謙遜さからくる「おかげさまで」(現代では死後になりつつあります)ということばがありますが、それに類比していると言ってもよいかと思います。神とても三位(父、子、聖霊)が互いに信頼し、相互に依存するかかわりをもっておられます。そのかかわりの中に創造された人間はなおさらに、「おかげさまで」という感謝をもたなくてはなりません。
  • 神は、聖徒に対しても悪者に対しても等しく神の前に立ち、あるべき正しい道を歩むようにと要求しておられます。その要求の厳しさは、神が愛なるお方であるゆえに、私たちに対して父権をもって厳しく語っていると受け留めるべきです。

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