****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

Ps53の「かかわりの構造」

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Ps53a


Ps53b


  • ある詩篇の人称代名詞が誰であるかを認識することは、その全体を正しく理解する上で重要です。その詩篇の中で語られているメッセージを正しく受けとめるためには、人称代名詞を無視することはできません。
  • 詩篇によっては必ずしも容易ではありません。この詩篇53篇もその一つです。4節にある「わたしの民」の「わたし」という存在を読み過ごしたとしたら、この詩篇は、詩篇1篇のように、人称なき存在が語った詩篇ということになります。しかし、4節の「わたし」(しかも、ひらがな書き)があることで、この詩篇はこの「わたし」が中心的な存在となっています。
  • 「わたし」という存在は天と地の現実を見ています。天にある現実は、神が天から人の子らを見おろして、神を尋ね求め、悟りあるがいるかどうかをご覧になっているというものです。ところが、地にある現実は、神の存在を認めず、善を行なう者はひとりもいないというものでした。しかしながら、唯一、善を行なう存在がいます。それがここで登場する「わたし」と称する存在です。
  • 地的現実の中で「わたし」が見たのは、不法を行なう者たちが「わたしの民を食らっている」ということでした。
  • しかし、「わたし」という存在は、5節で「見よ。彼らが恐れのなところで、いかに恐れたかを。それは神が、あなたに対して陣を張る者の骨を、まき散らされたからだ。あなたは彼らをはずかしめた。それは神が彼らを捨てられたからだ。」と預言的な発言をしています。
  • 5節にある「彼ら」とは、不法を行なう者たちのことで、また、「あなた」とは「わたしの民」たちのことです。ここの部分は少し難しいところです。「わたしの民」をパンを食らうようにする者たちは、やがて、かつてないほどの恐怖に陥ります。なぜなら、神はこういう者たちを見捨ててその骨をばらまかれるからです。
  • 最後に、「わたし」という存在は、「わたしの民」を救ってくださることを願っています。「イスラエルの救いが、シオンから来るようにと神に祈っています。もし、そのことが実現する暁には、「わたしの民」の別称である「ヤコブ」と「イスラエル」に、「楽しめ、喜べ」と呼びかけています。「楽しみ」と「喜び」は詩篇ではしばしばワンセットで用いられます。救いの喜びを表わす常套句です。
  • さて、この詩篇は、歴史的背景としては、捕囚となったバビロンの地において作られた詩篇と言えますが、「バビロン」は神のご計画の中ではひとつの「型」です。つまり、「わたしの民を食らう」者たちとは、バビロンの支配だけでなく、後のギリシアの支配、ローマ帝国の支配、キリスト教の時代の支配、そしてキリスト再臨前の偽キリストによる大患難を予表しています。「わたしの民」が最終的に解放されるのは、キリストの再臨によって千年王国が実現する時です。この詩篇はそこまで見通している詩篇と言えます。

    Ps53c

  • もし、千年王国はユダヤ人のためのものであり、異邦人である私たちには関係ないものとして、その部分の出来事を割愛してしまうならば、神の視点からものごとを考えるという鳥瞰的思考を喪失します。神の大いなるご計画の全貌に身を浸すことで、神の視点から鳥瞰的にものごとを捉える力を持つことが出来るからです。そうでないと、私たちは常に自分中心的な視点から聖書を読み、神のダイナミックな「聖」に触れることはできなくなります。それゆえ、私たちは意識して自己中心的な聖書の読み方を根本的に変えて行かなければなりません。そうでなければ、「霊性の回復」は到底無理と言わざるを得ません。
  • さて、このような神の視点からこの詩53篇を読むとき、どのようなメッセージが浮かび上がってくるでしょうか。それは、御子を信じる者たちが地的現実の中で「食らわれる」ことがあったとしても、必ず、神は「あなたに対して陣を張る者の骨をまき散ら」して、そこから完全に解放としてくださるという「楽しみと喜び」という希望のメッセージです。そのためには、私たちは神の最後の切り札である御父から遣われた御子イエスにいつも焦点を合わせ、御子の声に耳を傾けていかなければならないということです。
  • 御父の語られた「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼のいうことを聞きなさい。」(マタイ17:5)という声を、私たちは決して聞き逃してなりません。この「いと高き神の子」である御子に目を向けることこそ、この詩篇53篇が指し示していることではないかと信じます。
  • イエスがユダヤ人たちに語ったことばー「あなたがたは聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。」を常に念頭に置きたいと思います。この詩篇53篇もキリストについて証言しているのですから。

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