****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

Ps56の「かかわりの構造」

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Ps56a

  • 敵の存在は、ある特定の人物ということでなくても、常に存在します。そこには、ある環境的状況、生い立ち、経済、病気といったものも含まれます。その背後には霊的な敵であるサタンが存在しています。この敵は私たちの人生から消えてなくなってしまうことはないのです。このことを常に知っておくことが必要です。誰かに傷つけられたり、つまずいたりすることがあるかも知れませんが、そのことで私たちがある人を恨んでしまったりすることの中に、敵が私たちに働いているのです。
  • この詩篇の「私」は、一日中そうした圧迫を受けていました。しかし「私」は、それ以上に、「神」に向かって助けを求めています。この詩篇では7節の1箇所に嘆願が記されていますが、この圧迫の中で、神が自分にとって如何なる方であるかを深く思いめぐらしています。その中で「神は味方」であるとの信仰を告白しています。英語で言うとGod For Me です。
  • 「私」は、神によって「救い出されました」と過去形で記されています。神の恩寵によって救われたのです。ここでの「救う」というヘブル語はナーツァルで、すでに捕えられていた状況からの救出を意味します。その目的は、「私」が「いのちの光のうちに歩むため」、「神の御前に歩むため」です。「いのちの光のうちに歩む」ことと、「神の御前に歩む」こととは同義です。
  • 詩篇の特徴として、前後、あるいは一連の流れの中に、共通した、あるいは関連した事柄が多く存在しています。ひとつ前の55篇では、やはり「夕、朝、真昼」(55:17)の嘆きの中で、「あなたに拠り頼みます(バータハ)」(23節)と言っています。信頼を表わす動詞が使われています。その前の54篇では「神を自分の前に置く」ということがキーワードでした。これも信頼を表わす表現です。そして56篇の「神の御前に歩む」も同じく信頼のテーマが流れています。

Ps56b

  • 御子イエスの地上での歩みは、常に敵に囲まれながら、御父を信頼する道を歩まれました。公生涯の最初から、自分の町ナザレで御父のことば(イザヤ書)を語っとき、群衆はイエスを崖から突き落とそうとしました。そうした中で、御子は守られ、十字架の道を歩んでいかれました。それは、私たちがいのちの光のうちに歩むことができるようにさせるためでした。

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