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Ps60の「かかわりの構造」

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Ps60a

  • この詩篇60篇は、私たちが「キリストにある」、あるいは「キリストにとどまる」ということがどういうことかを示唆してくれる詩篇です。存在としては、「神」(あなた)と「私(私たち)」という二つの存在が向き合っています。構造的には6~8節の神の語りの部分が中心にあり、その前半と後半に「私」の神への訴えが置かれています。
  • 前半(1~5節)では、
  • (1) 現状が記されています(1~3節)。要点としては3節の「あなたは御民に苦難をなめさせられた」ということです。

  • (2)分析ここでは現状をもたらした原因について、自己分析しています(4節)。この箇所は、新改訳では「あなたは、あなたを恐れる者のために旗を授けられました。それは、弓にかえて、これをひらめかせるためです。」と訳されていますが、この訳ではイメージがつかめません。そこで他の訳をみると、バルバロ訳では「あなたに忠実な人々にしるしを与え、弓から遠く彼らを逃れさせよ」と訳されています。新共同訳では「あなたを畏れる人に対してそれを警告とし、真理を前にしてその警告を受け入れるようにされた」と訳しています。
  • このように、それぞれ異なった訳し方をしていますが、それは原語の「ネス」נֵסということばをどのように訳すかによっているようです。この「ネス」נֵסは、旧約では21回使われていますが、詩篇ではこの60篇のみです。「ネス」נֵסは、「旗」とも、「しるし」とも、あるいは「警告」とも訳すことができます。
  • いろいろな訳を見てみると、一つのイメージが見えてきます。つまり、戦いの武器である弓にかえて旗をひるがえすのは、退却のための「しるし」であり、それはある意味で、神の民に対する「警告」であるという理解です。なぜ苦難をなめさせられていのか、それはある警告を私たちに神が与えているという分析をここでしていることになります。「祈り」にはこうした要素も含まれることを教えられます。ただ単に困難を打開してくださいと神に嘆願する祈りではなく、なぜ困難な状況にぶつかっているのか、その理由を自ら問いかけているということです。それが最後の結論(12節)に大きく関係してきます。

  • (3) 嘆願 困難な状況を打開して勝利をもたらしてほしいという旨の嘆願がなされています。
  • 後半(9~12節)
  • (1) 困難さの自覚&無力さの自覚エドムは「防備の町」であり、だれがそこに導くでしょうと、自分の無力さを記しています(9節)。

  • (2) 嘆願人の力ではなく、神の力による救いを求めています(11節)。

  • (3) 結論 「神によって、私たちは力ある働きをします。神こそ、私たちの敵を踏みつけられる方です。」(12節)
  • この結論こそ重要なメッセージです。

画像の説明

  • 「神によって」ということばはとても重要だと思われます。別な言い方をするなら、「キリストのうちにとどまる」ということです。使徒パウロは「キリストにあって」ということを繰り返し語りましたが、御子イエスも御父にとどまり、御父も御子のうちにとどまっておられました。それゆえ、御子イエスは御父にあって語り、御父のみこころをなすことができました。御子イエスは弟子である私たちにも同じように語っておられます。「あなたがたはわたしから離れてはなにもすることができません。」(ヨハネ15:5)、それゆえ、「わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたのうちにとどまります」。これが勝利の奥義です。
  • 詩篇60篇の作者がぶつかっている問題は、私たちもしばしばぶつかる問題です。しかしそれはある意味で、「警告を含んだ退却の旗じるし」であり、「キリストのうちにとどまる」というかかわりの奥義への招きと言えるのではないかと思います。
  • 「力ある働き」とは影響力を与える力と言えます。

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