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Ps63の「かかわりの構造」

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Ps63a

  • 詩篇63篇の特徴は、神に対する強烈な飢え渇きです。神への愛の希求とも言えます。この詩篇では一貫して、神を「あなた」として礼拝しています。その礼拝用語の多さは他の詩篇の中でも群を抜いています。
  • 「敵」の存在は決してなくなりはしません。常に存在しています。しかしその「敵」が具体的にだれであるかは大きな問題ではありません。自分のいのち、あるいは神とのかかわりのいのちを阻害させる存在です。また、必ずしもその敵が他者とは限りません。自分の内側にも罪という敵が存在します。その敵(罪)に気づき、それに打ち勝つことがなければ、義への渇きは満たされることはないのです。
  • ダビデは神に対して渇く心を持っていました。そのダビデの霊性は御子イエスにおいて完成されます。

Ps63b

  • 〔飢え渇きと聖霊との関係〕
  • 「義に飢え渇く者は幸いです。その人は満ち足りるからです。」(マタイ5:6)と語られた御子イエスは、人間の根源的なニーズとしての「渇き」と聖霊の関係について語っています。
    • ヨハネ4:13~14
      「この水(井戸の水)を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
    • ヨハネ7:37~39
      「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って大声で言われた。『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。』これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。」
  • 神への強烈な飢え渇きとその満たしは、私たちのうちにあって働かれる聖霊の働きであり、賜物と言えます。神とのかかわりが満たされれば満たされるほど、より渇きが強くなっていくという義の循環が起こります。
  • こうした義の循環を通して、私たちは多くのいのちの実を結ぶようになっていきます。御子イエスが語られた「種を蒔く人」の譬えがあります。この譬えには種が落ちる四つの種類の土地があります。「道端」、「岩地」、「いばらの地」、そして「良い地」です。「種を蒔く人」が「良い地」のみに種を蒔けば、種も無駄にはならず、多くの実が期待できます。ところが、この「種を蒔く人」は、そうした合理的な考えによってではなく、とにかくどんな地であっても蒔くことに専念しています。その種が落ちる地とは、私たちの心を表しています。四つの地は私たちの心の中に同時に存在しています。神のことばを聞いて、時には「道端」になったり、「岩地」になったり、「いばらの地」になったり、、ときには「良い地」となったりするのです。
  • どのようにして、私たちの心が「良い地」となり得ていくのでしょうか。それは、1節「水のない砂漠の衰え果てた地」(荒野)の中で、4節「床の上で、夜更けて」(夜)、7節「御翼の陰で」(孤独)、自分のうちにある「罪」(無知や偏見も含まれます)に気づき、悔い改めることを通してです。周囲の者や環境的なことを理由にしている限りは、自分の罪に気づくこともなく、その結果、「良い地」になることをできません。みことばを聞いてそれを悟ろうとする柔軟な心、すなわち、「良い地」こそ30倍、60倍、百倍という破格の実を結ぶことができるのです。そこには私たちにいつも寄り添って助けを与えてくれる聖霊の存在があることを忘れてはなりません。

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