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Ps78の「かかわりの構造」

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  • 詩篇78篇の人称はきわめてシンプルです。「私」という存在は、自分の民に向って「たとえ話」、すなわち「昔からのなぞ」について語っています。以下がその構図です。

Ps78a

  • 「昔からのなぞ」とは、「昔から」の神と神の民とのかかわりにおける「なぞ」、つまり常識的にはあり得ない神の恩寵のミステリーです。
  • 9節以降にある「たとえ話」は、歴史の中に起こった出来事がその素材となっており、内容としては、「神に対する背反」、それに対する「神のさばき」、そのそばきの中でなされた民の「悔い改め」、そして「神の恩寵」です。順にA、B、C、Dとすると、Aの「神に対する背反」は16節分、Bの「神のさばき」は20節分、Cの「悔い改め」は2節分、そしてDの「神の恩寵」は26節分です。最も多く語られているのは神の恩寵です。民の悔い改め以上に、神の恩寵が先行しているのです。
  • このかかわりの構図は、やがて神から遣わされた御子が神の国について語りますが、民衆に対してすべて「たとえ」で語られたことと結びつきます。

Ps78b

  • イエスの語った「たとえ」は、私たちが人に良く理解できるように用いる例話とは違います。イエスの「たとえ」の中には、人間の神に背反する姿を映し出し、警告を与え、悔い改めに導いて神の招きを受け入れるよう新たな決断を迫るものが含まれています。つまり、神の民が「昔からのなぞ」として自分の子孫に語りつげなければならなかった事柄をこの世の事象を用いながら語った、新しいかたちとしての「たとえ」です。目指すところは同じでも、その語り口が変わっています。
  • イエスのたとえにある「なぞ」に関心を示し、その意味について尋ねることを許されている者こそイエスの弟子の資格でした。それゆえ、イエスの弟子となる者たちは「問いかけ」なければなりません。もし、御子イエスの語られた「たとえ」話の真意を尋ね求めなければ、なぞは解かれることがないのです。「求めなさい。それすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。」、御父は聖霊という方を賜物として与えて下さいます。この聖霊なる方の助けによって、はじめて私たちは「昔からのなぞ」を悟ることができるのです。

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