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Ps88の「かかわりの構造」

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  • 詩88篇では、神は終始沈黙しています。「私」という存在が一方的に、今、自分の置かれている状況を述べて、祈りの叫びに耳を傾けてくれるように嘆願しています。

Ps88a

  • ヘブル語の動詞には強意をあらわすものがあります。この詩篇では、2節の「どうか、あなたの耳を私の叫びに傾けてください。」という「傾ける」ナーターנָטָהという動詞に強意形が使われています。それと呼応する強意形の動詞は、9節の「あなたに向って私の両手をさし伸ばしています」の「差し伸ばす」シャータハשָׁטַחです。「耳を傾ける」主体は「神」であり、「(両手を)差し伸ばす」主体は「私」です。全く閉ざされた状況の中で「神」と「私」の呼応関係が強調されているのです。だれの助けもない状況の中で、上の窓しか開いていないのです。
  • こうした呼応関係は13節の中にも見られます。この節にある二つの動詞、(私はあなたに)「叫んでいます」(「シャーヴァ」שָׁוַע)と(私の祈りはあなたのところに)「届きます」の「カーダム」(קָדַם)。ここでのカーダムの原意は「出迎える」という意味です。「出迎える」主体は「私」ですが、神からの祈りの答えがなければ「出迎える」ことはできません。ですから、私の祈りは神に届いたと訳しています。
  • この詩篇における異常な状況は、御子イエスが十字架の死の後のよみの状況と言えるかもしれません。6節の「あなたは私を最も深い穴に置いておられます。そこは暗い所、深い淵です。」それは「あなたの激しい憤りが私の上にとどま」ったからです。すべての人の罪の怒りを一身に受けて、身代わりの十字架にかかられた御子がその状況のまっだ中で、あるいは死後によみにおいて、御父に一縷の望みをもって祈っていると考えることができます。
  • ちなみに、この詩篇88篇では16節の「あなたからの恐怖が私を滅ぼし尽くしました」の「滅ぼし尽くす」という動詞と、「これからが日夜、大水のように私を囲み」の「囲む」という動詞が強意形です。自分では決して這い出すことのできない状況が強調されていると言えます。

Ps88b

  • しかし、御子イエスはよみの中より復活なさいました。それは御父に対する信頼のゆえであり、信仰の勝利のゆえです。

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